………あたたかそうな光が見える。
光に向かって歩いているのか、光のほうが近づいてくるのか分からない。
その光はどんどん大きくなって私を包む。
まぶしい光に目を凝らすと、その中に人影が見えた。
(あれは、私―――――)
幼い頃の私だ。喜代美と出会う前の。
だとしたら、年は十か十一を過ぎたあたりか。
そばには、まだ少年の面差しが残る源太がいる。
この頃の源太は住み込みではなく、お父上に連れられてわが家に来る程度だった。
源太が来ると、私は薙刀の稽古をせがんだ。
男勝りだったから、姉さま達とおとなしく部屋で遊ぶより身体を動かすほうが楽しかったのだ。
源太はいつも快く応じてくれた。
兄のいなかった私にとって、源太はわがままを許してくれる優しい兄のような存在だった。
視線を転じると、他の人達も見えてくる。
元気な私を腕組みしながら眺める父上の和やかなお顔。
いたずらをした時の母上のしかめっつら。
いつも懐深く見守ってくれたみどり姉さま。
たくさん話を聞かせてくれた主水叔父さま。
明るく働いてくれたおたか達。
大切な友達。おますちゃんやおさきちゃんとの楽しいおしゃべり。
豪快に笑う金吾さまと私を好きになってくれた八郎さまの優しいまなざし。
たくさんの思い出が感情を伴って、よみがえっては消えてゆく。
ドキドキしたり、怒ったり笑ったり。
そして泣くこともあった。
(私は忘れていたのかな……)
すべて大切な思い出のはずなのに。
最近は思い出すこともなかった。
ひらり、桜の花びらが舞い落ちてくる。
いつの間にか、桜の季節に景色が変わっている。
玄関の式台に立つと、目の前に幼い喜代美が佇んでいた。
薄紅の花弁を肩にのせ、初めて津川家を訪れた喜代美は、桜の化身かと見紛う美しさがあった。
「喜代美です。これからはそうお呼び下さい。さより姉上」
「さより姉上」―――柔らかく喜代美は私に呼びかける。
その優しい声が甲高いものから低いものになってゆく。
幼い少年はたくましい男子へと変わってゆく。
けれど穏やかな微笑みはずっと変わらなかった。
「さより姉上」
最初は名前を呼ばれるのが大嫌いだった。
なのに今は、泣きたくなるほど胸に響く。
「ほら、こちらへきてごらんになって下さい」
できるだけ自分に関わってほしくなかった。
なのに今はその手に触れたくてたまらないの。
「また約束が増えましたね。姉上、楽しみにしていて下さいよ」
無邪気な笑顔に愛しさが募る。
幾重に交わした約束も、待ち遠しい明日へとつながる。
ああ、あの頃はなんて楽しかったんだろう。
なんてかけがえのないものだったんだろう。
あのままでいられたら、私達にはどんな未来が待っていただろうか?
夫婦としてお互いを助け合い、手を取りあって幸せに暮らせていただろうか?
途端に雲行きがあやしくなる。城下が戦争一色に変わる。
それでも、戦になってからもたくさんの出会いがあった。
学ぶことがあった。
籠城の時から私の心を支えてくれていたえつ子さま。
そしてお祖母さま。
厳しくも、薙刀を通して励ましてくださった竹子さま。
砲術の知識を駆使して戦い続けたお八重さま。
優子さんや山浦さま。たつ子さまや坂井さま。
凌霜隊の皆さまや九八達。
私はさまざまな人達の心に助けられた。
戦争の恐ろしさも知った。悲しい別れもあった。
苦しい時も、悔しい時も、立ち上がれないほど打ちのめされ泣いてしまう時もあった。
そして、嫌になるほど自分が無力で、わがままで、身勝手なのだと思い知った。
そのすべてを経て、今の私がいた。
ああ―――これが世に聞く走馬灯というやつだろうか。
これを見せられている私は死んだのだろうか。
フッとまわりの景色が消えて、見たこともない白一色の空間に佇む。
ここは死後来るべき場所なのか。
いったい私はどこへ行けばいいのだろう。
(肉体が死んだら、魂は思うところへ向かえるのではないの?)
喜代美はどこ?
今すぐ彼のもとへ行きたいのに。
「―――何をぼさっとしておるのです」
ふいに後ろから厳格な声が聞こえた。思わず振り向く。
けれど誰もいない。白い空間が広がるだけ。
訝しく思って見回していると、また同じ声が聞こえた。
「何が起ころうとも、立ち止まらず前を見据えるのではなかったのですか」
(―――あっ!)
この声。そしてこの言葉は―――――!
「竹子さまっ⁉︎ 」
首をめぐらせて声の主を探す。
けれど見つけることができない。
「竹子さま!どこにおられるのですか!竹子さま⁉︎ 」
すがる思いで何度も呼びかける。
声は再び聞こえた。
「過去を振り返ってはなりません。前だけを見据えて進むのです」
「ですが……ですが、どちらが前なのかも私には分かりません!」
白一面の景色。
どこを向いても何も見えない。目印もない。
こんな中で、どこへ向かって進めというの?
「いいえ、あなたなら分かるはず。あなたの心の中にある指針がそれを示してくれるはずです」
「私の心の指針……」
ふと、喜代美から聞いた渡り鳥の話を思い出した。
北の大陸から飛来する渡り鳥は、目印の何もない大海原を飛ぶ時もけして方向を見失わない。それは体内に寸分の狂いもない指針を持っているからだと。
私の心の指針が指し示すのは―――――喜代美だ。
(喜代美………)
胸に手を当てて目を閉じる。心の中で喜代美を想う。
フワッと、私の両肩に優しい手が添えられるのを感じた。
すると、まぶたの裏側にチカッと光が見えた。
あれだ。私の心の指針が示す道。
そう感じて、あわててまぶたを開けると目を凝らす。
目を開けるとやはり先ほどの白い空間で、光などどこにも見当たらない。
やはりダメだと落胆する私の耳に「コォーッ」という白鳥の鳴き声が聞こえた。
ハッとして見上げると、私の背後から白く美しい手が伸びてその向こうを指し示した。
「あの方が導いてくださります」
白い手の指し示すほうをよく見ると、白い空間から浮き出たように白鳥が一羽、私が光を感じた方角へと羽ばたいてゆくのが見えた。
「さあ、お行きなさい」
「竹子さ……」
「振り返ってはなりません。前だけを見据えるのです」
白い手はいつの間にか消えていた。
姿を見ることは叶わなかったが、竹子さまの気配を確かに感じる。そばにいてくれる。
「……ありがとうございます。竹子さま」
後ろを振り返り彼女の姿を追い求めようとは思わなかった。感謝の言葉を伝えると、白鳥を追って走り出す。
(土津さまが喜代美のところへ導いてくださる)
―――――そう、信じて。
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