ふたりは顔を見合わせて当惑した表情を向けてきた。



「ですがさよりお嬢さま。私と九八には新しい着物など……」

「心配ないわ、着物も下着もここにある。喜代美のがね」



言いながら、家族が寝起きしている部屋のすみに大事に取っておいた風呂敷包みを持ってくる。

これは籠城戦当日に持ち込んだ、喜代美の着替え一式。
中を広げて確認してみる。



「ほら大丈夫、ちゃんと二着分そろってる。これを着ればいいわ」

「いけませんお嬢さま、これは残しておくべきです」



源太は顔色を変えて強い口調で言う。でも私の心は変わらない。



「本当にいいの。自分の着替えを他の者に与えたくらいで怒る喜代美じゃないわ。
それに今まで家族のために働いてくれたふたりにお礼したいの。この着物は出陣の(はなむけ)として受け取って」

「さよりお嬢さま……!」



源太は言葉を詰まらせる。
何も知らない九八は素直に喜んでいた。



いいよね。着替えなんて、喜代美が帰ってきたらまた調達すればいい。
今はどうしても、私達のために衣服が擦り切れるまで働いてくれたふたりに感謝の気持ちを込めて送り出してあげたい。



「父上。よろしいですよね」



判断を仰ぐと、父上はすぐさま頷いてくださった。
母上やみどり姉さま、えつ子さまのお顔もうかがい見る。みな異存はないとばかりに微笑んでくれた。



「という訳だから、ふたりとも井戸へ行って顔と身体を拭いてきてちょうだい。着替える前に少しでもその真っ黒な汚れを落としてきてよ。そのあいだにこっちは支度しておくから」



あしらうように言って、呆然とする源太を尻目に懐から取り出した(たすき)で袖をからげると、みどり姉さまやえつ子さまと一緒に準備に取りかかる。

部屋の中はにわかに慌ただしくなった。

九八が「行きやしょう」と促すも、源太はまだ踏ん切りがつかないのか立ち尽くしたまま。

そんな源太を横目で見遣りながら、縁側に腰掛けた父上が私に向けておっしゃった。



「着物を与えるとは良いことを考えたな、さより。喜代美のことは、もうあきらめるがよかろう」





ーーーーーえっ?





「旦那さま!」



源太が遮るように叫ぶ。

振り返って、こちらに背を向け縁側に座る父上を見つめる。その背は動じない岩のようでもあって、以前と違って小さくも見えた。

父上は背中を向けたまま、揺るぎない声でもう一度おっしゃった。



「喜代美のことはあきらめよ。よいな、さより」



衝撃的な言葉に耳を疑う。母上やみどり姉さまも蒼白になる。



「な……なぜですか、父上。もしや喜代美が死んだという報せでも……?」



悪い予感がして聞き返すと、こちらを振り向きもせずに父上は続けた。



「そうではない。じゃが今日(こんにち)まで何の音沙汰もない以上、もはや生きてはおるまい。申し訳ないが、えつ子どのもそう心得よ」

「父上……!」



父上の言葉を受けて、えつ子さまも唇を噛む。

家族の中でも誰も口に出さなかったが、そうではないかと思う部分はあった。

喜代美はもう帰ってこないんじゃないかと。


信じたくなかった。あきらめたくなかった。
だからそんな考えが思い浮かぶたび打ち消していた。


だってそれを認めたら、私は生きてゆけない。
喜代美とじゃなきゃ、この先の未来が描けないんだもの。



「……たとえそうだとしても。それでも私は、喜代美を待ちます」



しんと静まりかえった場に、私の声が響く。

はっと息を呑んで皆が見守るなか、私は父上の後ろまで進み、正座すると拒む背中に語りかけた。



「父上。私には、ただひたすら待つことしかできません。ですがここで喜代美の帰りを待つことが、私の生きる希望なのです。
それを失ってしまったら私は生きてゆけません」



本当ならば、何もかも投げ捨てて、探しに行きたい。
でもそれができないから、一縷の望みにすがりつくしかない。


父上は何も応えてくださらなかった。
代わりに応えてくれたのは源太だった。



「喜代美さまは必ずご帰参いたします!お嬢さま、あきらめずに信じてその日を待ちましょう!」



自身の想いがありながら、私のために真剣な表情でそう言ってくれる。そんな源太に、胸が熱くなる。
目を潤ませて微笑んだ。



「ええ……そうね。ありがとう、源太」



源太も少しだけ目と頬を和らげると、頭を下げて井戸へ向かった。
私も目元を拭い、再び支度に取りかかる。


気まずい空気が流れるも、皆が何事もなかったように慌ただしく動くなか、父上だけが動こうとせず、ひとつ大きな息をつくとぽつりとこぼした。



「……馬鹿者めが……」




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