皆で部屋を出ると、瀬山さまは厳しい表情でたつ子さまを睨みつけた。
「なぜかような始末になったのか説明なさい」
怒りを孕んだ鋭い口調だったが、たつ子さまはうろたえもせず、深く頭を下げると私達に視線を向けた。
「申し訳ございません。ここの状況を、この方がたに見てもらいたかったのでございます」
「だからそれは何故と申しておる」
苛立ちもあらわに重ねて質す瀬山さまに、たつ子さまは怖じ気づくことなくおっしゃった。
「この方がたに、この部屋の看病を手伝っていただくためです」
「なっ……」
たつ子さまの言葉は、瀬山さまだけでなく私達をも驚かせた。彼女は胸の内を明かす。
「僭越ながら申し上げます。奥女中の方がたはみな休みなく働いておりますが、とても手が足りませぬ。瀬山さまもほとんどお休みになられておられないはずです」
「わたくしのことはよろしい」
ぴしゃりとはねのけられても、たつ子さまはめげない。
「わたくしは、これは奥女中の仕事、これは武家子女の仕事と決めつけず、分け隔てなく仕事に当たるべきだと思うのです」
「……しかし」
「幸い、この方がたが奥女中の勤めの助力を申し出てくださいました。
瀬山さま、この事を瀬山さまから照姫さまへお伝え申していただけませぬか」
たつ子さまは真剣な表情で訴える。
けれど瀬山さまは難しい面持ちで黙した。
私は困惑していた。おさきちゃんも優子さんも同じだ。
私達が今まで大書院や小書院で看病してきた方がたは、ほとんどが膿毒症だった。
あんな症状が出る病があるなど知らなかった。
その患者を看病するなんて、私達にできるのだろうか。
そもそも あれはいったい何の病なのか。
おそるおそる訊ねると、瀬山さまが答えてくださった。
「あれは、重篤な破傷風の患者にみられる症状です」
「破傷風……」
名前だけなら聞いたことがある。
この病が、こんなに恐ろしいものだったとは。
瀬山さまがその症状を語る。
「はじめは、口が開けづらい、食物がうまく飲み込めないといった症状が出ます。それが進行すると、今度は顔が強張り、笑ったような表情になります」
ハッとした。
私のほうを見て、苦笑を浮かべていた患者。
あれは笑っていたんじゃない。
顔が引きつり、笑っていたように見えていただけだったんだ。
「この病は 全身が痙攣をおこし、身体が強張るのが主な症状です。
はじめは身体の一部でおこるものが全身にまで及ぶと、先ほどのように背が弓なりに反り返ってしまうのです。
反り返る力が強すぎると背骨が折れることもあり、呼吸ができなくなると死に至ります。
かの松本良順先生は、これは神経を冒す病気だと仰せられました。
病状はおそろしく進行が早く、激痛を伴いますが、気を失うことはありませぬ。ですから彼らは死の直前まで苦しみ続けるのです」
それを聞いて固く目を閉じた。私が声をかけたとき、患者は懇願するような目を向けた。
もしかしたら彼は、この苦しみを終わらせるために止めを刺してもらいたかったのだろうか。
ーーー自ら、舌を噛み切ってしまったのだろうか。
「……何故 このような病に冒されてしまうのでしょうか」
沈鬱な思いで重ねて訊ねると、瀬山さまは首を横に振った。
「原因はよくわかりませぬ。手傷の深い浅いにかかわらず発症するのです。しかし破傷風は野外での戦で負傷した者によくみられたそうです」
おさきちゃんも不安そうに訊ねる。
「このように隔離するということは、うつる病なのですか」
瀬山さまはそれにも首を横に振った。
「わたくしどもが看病しておりますが、病がうつったという話は聞きませぬ。
隔離しておるのは、他の患者がこの症状を見て恐怖や混乱に陥るのを防ぐためです」
「助かる見込みはないのでございますか」
源太が訊ねると、また瀬山さまは首を振った。
「あの時期を乗り越えれば、あるいは……。
ですがわたくしをはじめ奥女中の者は、あの病を克服した方を存じませぬ」
つまり、一度 罹ってしまうと、ほとんどの人がーーー助からない。
※僭越……自分の身分•地位を越えて出過ぎたことをすること。また、そういう態度。
※手傷……負傷。特に戦いで負ったきずのこと。
※膿毒症……化膿を引き起こす病原菌が傷口から体内に侵入し、できた膿が血管やリンパ管を通って全身にまわると臓器や筋肉、皮下、リンパ節など体のあちこちに転移性の化膿巣(膿のかたまり)を作りだす病気。
※破傷風……破傷風菌による毒素のひとつである神経毒素(破傷風毒素)により強直性けいれんをひき起こす感染症。破傷風菌は土壌中に広く常在し、創傷部位から体内に侵入する。
神経毒による症状が激烈である割に、作用範囲が筋肉にとどまるため、意識混濁はなく鮮明である場合が多い。このため患者は絶命に至るまで症状に苦しめられる。致死率が非常に高い。
この原因と毒素および抗毒素は、1889〜1890(明治22〜23)年に、北里柴三郎により世界で初めて発見された。
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