大書院を出る。そこから小書院の脇を通り過ぎて、本丸御殿の奥へ進んだ。
暗く広い御殿の中を進むうち、喧騒が遠のいてゆく。
どこにつれて行かれるのだろう、と不安に思いながらたつ子さまの後についてゆくと、奥座敷の襖の前で彼女は足を止めた。
「たつ子さま、ここは……」
「お静かに」
訊ねようとすると、たつ子さまが静かに制す。
「ここは金之間と呼ばれるところです」
「金之間……?」
「これから中に入りますが、けして声をたてませぬよう」
真剣な表情で念を押され、私達はそろってうなずく。
たつ子さまは手燭の明かりを吹き消すと、ゆっくり襖を開けてするりと中へ入っていった。
辺りが暗くなり、ごくりと息を呑むと、たつ子さまのあとへ続いて中に入る。
(いったい何を見せたいというの……?)
部屋の中は暗かった。まわりを見回しても調度品などの輪郭がうっすらと見えるだけ。燭台がわずかしかないうえに、覆いで明かりを隠して淡い光が漏れる程度の照明しかない。
わざと暗くしているんだ。
なぜそうしているのかはわからないが。
視線を下に向けてギクッとした。床に黒い塊がうごめいている。思わずおさきちゃんと身を寄せ合った。
暗闇に目が慣れてくると、なるほどこの部屋は金之間といわれるだけあって、金箔があしらわれた障壁画が見えてきた。
そしてここにもたくさんの傷病患者が寝かされていた。
黒い塊だと思ったのは、彼らだったのだ。
部屋の奥から ゆらりと黒い人影が現れ、こちらに近づいてくる。
それにも驚いて身構えたが、薄明かりにぼんやり照らされたのは、奥女中の若年寄•大野瀬山さまだった。
「何事ですか。さように大勢で参られては差し障ります。早う出て行きなさい……!」
小声だが鬼気迫るような面持ちで急き立てる瀬山さまに、訳がわからず後ずさる。
「わ、私達はただ、ここに連れてこられただけで……」
押されるように後退して足がもたついたとき、突如 くぐもった呻き声が響いてきた。
声のしたほうを見ると、少し離れたところで横になっていた患者の身体がひきつり、みるみる間に異様なほど背が弓なりに反り返ってゆく。
呻き声はその患者から出ていて、痛みに耐えきれずに漏れた声が、聞くも恐ろしい唸り声となって響いていた。
衝撃を受け、戦慄が走る。尋常じゃない光景。
まるで人ならざるものの見えない力で、背中からふたつに折られてしまうのではないかと思ったほどだ。
「早く!押さえつけるのです!」
瀬山さまの指示で、あわててその患者を押さえにかかる。弓なりに反った身体を元に戻そうとするけど、すごい力がかかっていて、なかなか元に戻せない。
「……源太!」
女子の膂力ではどうしようもない。源太に手伝ってもらい、ようやく押さえつける有様だ。
「しっかり……しっかりなさってください!」
「シッ!大きな声をたててはなりませぬ!」
鋭くも小声で瀬山さまに叱られた。
ただ患者を励まそうとしただけなのに。
患者の身体からは汗が吹き出し、激しく痙攣している。
気は失っていないらしく、私の声に反応して救いを求めるような顔を向けた。涙を流すその目が痛みと恐怖に歪んでいて、とても正視することができない。
と、別の場所でも患者の痙攣が始まった。
たつ子さまが顔をしかめて、おさきちゃんと優子さんを促すと押さえにかかる。
「これを口に!」
瀬山さまから手拭いを渡された。口に入れて噛ませようとするが、痛みのためか痙攣のためか歯を食いしばっていて開かず、なかなか入れることができない。
そうこうするうちに、患者の口から血が溢れてきた。全身の痙攣がひどいあまり、舌を噛み切ってしまったのだ。
「瀬山さま!どうすれば……!」
患者は苦しそうに激しく咳き込む。そのたび口から血がゴボゴボと流れ出す。どうしていいかわからず溢れる血を手拭いで拭うしかできないでいると、まもなく痙攣が治ってきた。
けれど……その時にはもう、患者の息は止まっていた。
「……血が喉に詰まってしまったのでしょう」
あきらめたようにおっしゃると、瀬山さまは立ち上がって たつ子さま達の患者を見に行った。
(……いったい、何が起こったの?)
呆然とする。おそろしくて、身体の震えが止まらない。
「……私のせいで」
「そうではございません。仕方がなかったのです」
源太はそう言って、そばに寄ると慰めるように私の背に手をまわした。
涙があふれる。
抑えきれないほど心が掻き乱される。
どうして、どうして急に こうなってしまったの。
ふと顔をあげると、向かい側で身体を起こしていた患者と目があった。
彼は苦笑していた。
違和感を覚える。
こんな状況で、なぜ彼は笑っていられるの。
たつ子さま達の患者は、どうやら落ち着いたようだ。瀬山さまをはじめ、皆が戻ってきた。
「みな、外へ出なさい」
瀬山さまは短くおっしゃると、部屋を出て行った。
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