驚いて声のするほうを振り向くと、なんと父上が立っておられた。
「父上!……山浦さま!」
父上はおひとりではなく、なぜか山浦鉄四郎さまと連れ立って訪れていた。
「なあに、今しがたそこで行き合ったのじゃ」
おふたりに向かい、私達は手をつかえて頭を下げる。
「父上、山浦さま。ご無事なお姿を拝見できて何よりでございます」
「うむ。今のところ、まだ死ねておらん」
父上は冗談ぽく笑った。私達同様、お召し物も汚れてお顔も煤けていた。
けれど元気そうなお姿に、私もみどり姉さまも笑顔になる。
「山浦さまの武勇伝は、源太から聞き及んでおります。お会いできて光栄ですわ」
みどり姉さまの言葉に、山浦さまは首を傾げた。
「武勇伝?私のですか」
「はい。決死隊でのお働きはもちろん、城中に潜り込んだ間諜を槍で仕留めたとか」
籠城時から間諜(スパイ)が入り込んでいるというウワサはあった。敵味方を区別するために、戦争時にはしばし符牒(合い言葉)が使われた。
この時の符牒は『萩が』『散る』で、門の通行の時などにこの言葉で味方の確認を取っていた。
山浦さまは城内で不審な行動をしていた者に、この符牒を投げかけた。すると失念したのか、その者は言えなかった。
山浦さまは間諜と判断し、すぐさま槍でひと突きにしたという。
「お優しそうな面立ちですのに、実は剛の者ですのね」
「いえいえ、そんなことはありません」
照れたようにざんぎり頭を掻くお姿は、本当に剛の者には見えないと思った。
「旦那さま……」
父上に向けて、源太は悪い足をたたんで姿勢を正そうとする。
「ああ、そのままでよい」
父上と山浦さまは窮屈そうにあぐらをかくと、源太と向き合った。
「源太。わしからも頼む。もう一度、わしらのために尽くしてくれぬか」
「旦那さま……」
「お前ほどの忠義者はおらん。これからもよろしく頼む」
源太の目が潤む。唇を噛みしめて頭を下げた。
「ありがたきお言葉、痛み入ります。これからも旦那さまと、ご家族の皆さまに尽くしてまいりたいと存じます」
父上は返事の代わりに、源太の肩を優しく叩いた。私達もホッと胸を撫で下ろす。
場の雰囲気が和むと、山浦さまがおもむろに手にしていた荷物をほどいた。風呂敷の中はお酒の入った徳利で、ちゃんと盃まで用意してある。
「お話はお済みでしょう。酒を頂戴してまいりましたゆえ、どうですか。一献」
「おお。では、ひとつまいろうかの」
山浦さまは父上に盃を差し出すと、そこに酒をなみなみと注いだ。
父上がいっきに仰ぐと、山浦さまは源太に盃を向けた。
「ほら、源太も」
「いえ、とんでもない」
源太は恐縮して首を振ると、徳利のほうへ手を伸ばす。
「山浦さまこそどうぞ、お注ぎいたします」
山浦さまは笑いながら源太の手を止めた。
「堅苦しい言い方はよせ。鉄四郎でかまわん。それにこれは、お前に飲んでほしくて持参したのだ。友として、別れの盃だ」
「え……?」
「明朝、出陣が決まった。大掛かりなものだ」
城内の武器弾薬や糧食問題は日に日に深刻になっていた。補充するには経路の確保が何よりも先決だ。
軍事総督で家老の山川大蔵さまは、同じく家老の佐川官兵衛さまを陣将として、城下西側の通路を確保するために、城内から出撃して城下にたむろす敵軍の一掃作戦を決めた。
出陣するのは朱雀士中二番隊、同士中三番隊、
同寄合三番隊、同足軽二番隊、青龍士中二番隊、砲兵一番隊、進撃隊、遊撃隊、別撰組隊などおよそ九隊〜十二隊で、兵の数 千人余という大規模なものだった。
「兄も甥も出陣するゆえ、私も志願した」
「そうですか……この足が思うように動けば、私も……」
源太はうつむいて拳を握りしめる。
動けない身体が恨めしい。やるかたない気持ちが分かるから私達は黙っているしかなかった。
山浦さまが源太の肩をポンと叩く。
「まあ、そう焦るな。わざわざ死に急ぐ必要はないぞ。私はさびしい独り身だが、お前にはこんなに心配してくれるお方がいるじゃないか。今は身体を治すことだけ考えろ。私が死んだらあとはお前が戦ってくれ」
「そんなお気の弱いことを申すものでは……」
「今回の戦いは、城外の敵を駆逐しない限り再び君公のお目にかからずと、佐川さまが強い覚悟を示しておられる。
みな、明日が討死の日と心に決し、訣別の盃を交わしておるのだ」
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