この空を羽ばたく鳥のように。





あさ子さまは涙を溜めた虚ろな目をして、心に溜め込んでいた思いを吐露(とろ)した。



「主人の善左衛門は、上洛のおり公用方として働いておりました。ですから京の情勢にも明るく、藩の内情にも精通しておりました。戦となれば、わが藩の国力では到底勝ち目がないことも、夫にはよく分かっておりました」


「あさ子さま、滅多なことを申すものではございません」



籠城戦になっても兵士の士気は衰えていない。大勢が生活している中で誰が聞いているか知れない状況だ。

今さら藩を批判することは(はばか)られた。
けれどえつ子さまが(たしな)めても、あさ子さまはやめようとしない。



「夫は幕府のご重役にも、藩内でも戦争を回避しようと恭順論を説いて回りました。梶原平馬さまに随行して、仙台•米沢藩のご家老さまと面会し和平工作にも尽くしました。ですが主戦論が強く、聞き入れてもらえぬまま腰抜け侍の謗りを受けました。
主戦派の方がたは、武士の意地とか、薩長への憎しみばかりを問題にして全体を見ていなかった……それでも諦めず、夫は国難に奔走したのです」



国許に戻った善左衛門さまは国産奉行に任ぜられた。戦争を避けらない状況になると、今度は戦時物資の調達に奔走した。

情報通の善左衛門さまは、刻々と迫りくる危機をいち早く察知していた。
だからこそ彼なりの人知れぬ苦悩があったのかもしれない。

敵の襲来が来る何日か前、善左衛門さまは城へは行かず、職場である東名子屋町の人参役所と自宅を往復する生活であったらしい。

そして役所の部下に酒を振る舞い、会津の東部国境の弱さと形勢の重大さを説き、いざ有事になったら城へは入らず独断で戦闘に臨む決死の覚悟を伝えて、各人に命を預けてくれるよう頼んだ。

はたして善左衛門さまの想定通り、東部国境の母成峠が破られ、北東から敵は侵入してきた。

八月二十二日、容保さまが督戦の指揮を取るために滝沢本陣に向かうと、善左衛門さまも河原隊として出陣。江戸で購入したスペンサー銃を手にし、実弟と長男、甥や若党などの身内の他に、彼を慕って参加した部下を含めたわずか三十余名ほどの隊だった。しかも銃を所持する兵は半数で、残りは刀槍というものだった。

河原隊はまず人参役所へ着陣し、軍議のあと訣別の盃を取らせた。二十三日、滝沢峠から敵の襲来の報を聞くと、人参役所から北の中村に向かい、行人沢に陣を敷いた。

行人沢とは畑地と田地の境にある窪地で、ちょうど塹壕の役目をなしていた。滝沢から城下へ進攻する敵を迎撃するには最もふさわしいこの場所に善左衛門さまは手兵を散開させ、敵の先頭隊への迎撃態勢を整えた。


いずれ滝沢本陣で指揮を取っていた容保さまが城へ退去するため通過する。河原隊はその殿(しんがり)を勤め、少しでも敵の侵攻を遅らせる防波堤となるため、死を決しての布陣であった。



「……夫も、息子も。あの日に討死いたしたと覚悟しております。わたくしも決死奉公いたしたく、必死の思いでお城まで参りました。
ですが今はただ、一日も早く夫と子供達のもとに参りたい一心でございます」



涙ながらに語るあさ子さまの表情は絶望に包まれていた。
死を望むそのお姿が危ぶまれて、私は膝を詰めてあさ子さまの手を握った。



「あさ子さま、そんなふうにおっしゃらないでください。やらなければならないことが、ここには溢れております。
どうか力になってくださいませ。けしてご自分から弾に当たりにいくようなことはなさらないでください」



籠城の日 讃岐門攻防の際に目の当たりにした、山吹色の着物のご婦人のような悲しいことは、もうあってほしくない。



「そうですよ。郊外に逃れたご次男も、きっとご無事でおりましょう。気力を失ってはなりません」



私達が必死の思いで訴えると、あさ子さまは弱く微笑んだ。



「……もちろんでございます。今は照姫さまのお側につき、この身が砲弾で吹き飛ばされるまでお勤めを果たしたいと存じます」


「きっと、きっとですよ」



念を押すと、あさ子さまはまた一筋の涙を流して頷いた。



「はい」










河原(かわら)善左衛門(ぜんざえもん)……名は政良。家禄百三十石。非戦論者として伝えられているが、西軍が城下に押し寄せた八月二十三日 行人沢付近(八幡神社とも)にて戦死。享年43歳。実弟 岩次郎(38歳)、長男 勝太郎(15歳)も戦死した。

次男勝治(当時11歳)は戊辰戦争を生き抜き、後年、日本郵船の船長となる。全国に散らばった旧会津藩士を訪ねまわり、河原家最期の様子をはじめ生き残った人の実歴談の収集に努める。昭和十三年(1938年) 80歳で亡くなった。

吐露(とろ)……気持ち•意見などを隠さずに他人に打ち明け述べること。

(そし)り……そしること(他人の悪口を言う、誹謗する)。また、その言葉。


.