外の井戸から冷たい水を盥に汲んで戻ると、先ほどすれ違ったご婦人がえつ子さまと向かい合って座っておられた。
あのご婦人は、えつ子さまにご用があって部屋を訪れたのか。
臥せっておられたお祖母さまもわざわざ身体を起こし、母上とともに身を正しておふたりの話に耳を傾けている。
「あの、冷たい水をお持ちしました。あの、どうなされたのでしょうか……?」
深刻そうな雰囲気に、おそるおそる声をかけると、
「さよりさんもこちらへ」
えつ子さまが厳しい表情で、近くに座るよう促した。
盥を置き、おずおずと示された場所に座ると、えつ子さまがご婦人を紹介してくれた。
「こちらは国産奉行 河原善左衛門さまのご妻女、あさ子さまです」
「河原善左衛門さまのご妻女……」
それを聞いて得心がいった。
奥女中の着物をお召しのあさ子さまが、丸髷を結っていたからだ。
丸髷は主に武家の既婚女性が結うもの。
もちろん奥女中のたつ子さまや時尾さまの髪型とは違う。
先ほど感じた違和感は、このせいだったんだ。
きっとあさ子さまは、入城した時に何らかの理由でお召し物をダメにしてしまい、奥女中の着物をお借りしたのだろう。
「今 あさ子さまから、わたくしの弟の嫁と娘の死をうかがっていたところです」
「えっ……!」
愕然とする私から目をそらし、あさ子さまに向き直ると、えつ子さまは頭を下げた。
「失礼いたしました、あさ子さま。こちらはわたくしの縁戚です。先ほどのお話を聞かせたいと思いますので、どうかお続けください」
驚きのあまり、あさ子さまを見つめる。
笑うことを忘れてしまったかのような暗い表情。けれど芯の強さだけは瞳に映しているように見えた。
「では、続けさせていただきます」
あさ子さまは、静かに語り出した。
二十三日に入城した河原あさ子さまは、その二日後の二十五日にひそかに城外へ出た。
目的は、早くも城内が食料難になりつつあるため、副食物を得ようというものだった。
この頃 城内の者は、危険を冒して城外へ出ると、武家屋敷の焼け跡から食料やら日用品を掘り起こして城内へ持ち込むことをたびたび行っていたらしい。
あさ子さまもまず手始めに、勝手知ったる自宅へ向かった。
河原家の屋敷は本一之丁と諏方通りの交差した二軒西手にあった。
あさ子さまが焼け残った自宅の門の石段を上ろうとすると、すぐそばの道端に斃れている婦人を見つけた。
おそるおそる顔を覗くと、それがえつ子さまの弟である有賀惣左衛門さまのご妻女、ひでさまだった。
有賀家の屋敷は本三之丁にあったが、河原家とは近い位置にあった。ともに上士でもあり顔見知りであったあさ子さまは、ひでさまの無惨な姿に言葉をなくした。瞬時に、あの二十三日の敵の襲来で、逃げ惑ううちに流れ弾に当たったのだろうと判別がついた。
血と泥で汚れた亡骸は、よくよく見ると、その懐に乳飲み子を抱いている。それはまだ一歳だった娘のうらに違いなかった。
乳飲み子に傷は見当たらなかったが、やはり息をしていなかった。しかしまるで、たった今 事切れたかのような新しい仏だった。乳飲み子はとろりとした目を開いたままで母にすがりついていた。
母親は銃弾に倒れて即死だったのだろうが、その時 娘はまだ生きていたのだろう。
けれど降り続く雨にさらされ、乳を与えてくれる者もなく、体温を奪われ飢えた幼な子は泣き疲れて生き絶えたに違いない。
その惨状が不憫でどうにかしてやりたいと思っても、どうすることも出来ない。ぐずぐずしていれば敵に見つかってしまう。
あさ子さまはうしろ髮を引かれる思いで食料を探し出し、急ぎお城へ戻った。
その後、義姉であるえつ子さまが入城されていることを知り、この事を伝えようと部屋を訪ねたのだという。
.

