この空を羽ばたく鳥のように。





 彼の澄んだ瞳をしばらく見つめる。

 そのまなざしから意味を汲み取ると、静かに両手を差し出し盃を受け取った。

 喜代美が徳利を手にして盃に水を注ぐ。
 ゆっくりと注がれる澄んだ流れを見つめながら、ふと思った。



 ――――本当なら、こうして喜代美と酌み交わす盃は、夫婦の盃だったのに。
 それなのになぜ 今 手にしているのは水盃なのか。


 背後から、すすり泣く音が漏れ聞こえる。
 家人の誰もが 私達が交わすこの盃を、もう二度と会うことのない別れの盃だと思ったのだろう。


 ――――けれど 私には解る。
 これは決して、訣別の盃じゃない。


 水盃には、ふたつの意味がある。

 ひとつは、再会が望めない相手との別れの盃。
 二度と戻らぬという意味をこめて、飲み干した盃を割ることもあるという。

 そしてもうひとつは、命をかけた関係を形成するための絆の盃。
 百姓が一揆を起こしたり、幕府に直訴するなどの命懸けで事にあたる際に結束を固める目的としてこの儀式を行ったと聞いている。



 (―――喜代美の目を見ればわかる。これは、別れの盃じゃない)



 これは―――この厳しい局面に、お互い全身全霊をかけて事にあたろうという決意と、
 そしてその向こうにある生死を越えた深い絆を結ぶための盃なんだ。


 盃をかたむけ、その清らかな水をゆっくり飲み干す。
 すすり泣く声が、いっそう高まった。
 盃を置いて後ろへ下がると、父上が喜代美におっしゃる。



 「喜代美。そなたのために母や姉が用意してくれたのだ。
 豆やくるみもしっかりといただきなさい」

 「はい。ありがたくいただきます」



 喜代美は微笑して応え、折敷に乗せられた栗や豆をすべて口に入れた。

 そのあと喜代美が出陣の門出に詠んだあの歌を披露すると、父上も母上もお顔をしわくちゃにして褒め称えた。

 みどり姉さまも、源太や弥助やおたか達もみんな目を潤ませながら笑顔を見せた。



 ――――喜代美。

 喜代美はいつも、そうして家族を笑顔にさせてくれてたね。

 喜代美がわが家に来てくれた日から、屋敷の中はいつも柔らかなあたたかさと笑顔に満ちていた気がする。

 はじめはそれが、私にとって何より癪に障ることだったけれど。

 今ならわかる。
 それがどんなに感謝しなければならないことだったかを。