この空を羽ばたく鳥のように。





 『一筆お便り差し上げます。
 日を追って秋らしくなって参りましたが、兄上さまがたもお元気でご勤務なさっているとの事、誠に喜ばしく思っております。
 当方も、お祖母さまをはじめ家族はみな元気に過ごしており、生意気な言い方ではございますが、どうぞご安心下さい。』



 ( 生意気な言い方ではございますが、だって。喜代美らしい……)



 くすっと、笑みが漏れる。

 それから自身が福良へ出張したことが、報告として簡単に認められていて、そのあとにこう書き綴られていた。



 『白虎士中一番隊および寄合隊は、そちら(越後)の方へ向かっておりますのに、私ども士中二番隊は若松に安楽して留まり、誠に不安なことではありますが、致し方ない状況にございます。
 そちらも戦況甚(はなは)だよろしくないようで、心配しております。』



 白虎士中一番隊は福良出張から戻って間もなく、今度はご老公(容保)さまが、越後口を守備する兵を鼓舞するため出陣することとなり、その護衛兵として野沢まで付き従っていた。



 (……喜代美、やっぱり出陣できないことに、不安と焦りを感じているんだね)



 ちくりと、胸が痛む。



 「 『なお、東照大権現の御守りを添えさせていただきます。この御守りを御身につけて離されず、ご持参なさって戦闘に赴かれるようお願い致します。
 兄上さまがたも、所属される部隊がさぞやご活躍のことと存じます。なにとぞお身体を大切にされ、御奉公下されますよう願っております。』――――御守りって?」

 「ああ、はい。これです」



 喜代美は袖の袂から、ふたつの御守りを出して見せた。



 「先ほど東照宮に赴き、いただいてまいりました」



 東照宮はお城の南側、藩祖保科正之公からの祖廟を遥拝する豊岡神社のとなりにある。
 そこで授けてもらった御守りを見て、私は思い出した。










 《注》手紙の内容は『白虎彷徨』内の史料として現代口語訳されている『津川喜代美書簡』を、管理人の羽角さまのご厚情により許可をいただいて載せさせていただいております。羽角さま、ありがとうございます。


 ※鼓舞(こぶ)……人を励まし、ふるいたたせること。

 ※祖廟(そびょう)……祖先の霊をまつるおたまや。

 ※遥拝(ようはい)……神仏などを、遠く離れた所から拝むこと。