この空を羽ばたく鳥のように。





 四境で戦が始まったと聞いたとき、竹子さまにお訊ねしたことがある。



 「この(いくさ)、わが藩は勝てますか」と。



 竹子さまは養父の赤岡さまに従い、いっとき大阪に住んでいたとうかがった。
 日本の情勢を間近で見聞きしてきた彼女なら、勝敗を見通せる気がした。



 「……難しいでしょう」



 竹子さまの答えは、私の望むものではなかった。けれど。



 「勝敗は時の運。戦は人の心がほんのひとつ揺れただけで大きく連動します。
 確かに軍備の差は如何ともしがたいものがありますが、
 わが藩には、けして卑怯な振る舞いを許してはならぬという強い心があります。
 この戦いは、会津藩の『信念』を示す戦いなのです。
 その心が折れぬ限り、負けることはないでしょう」



 毅然とした態度で答える竹子さまのまなざしに、安堵を覚えた私はなんだか可笑(おか)しくて笑ってしまった。



 「なんです?」

 「竹子さまは江戸でお暮らしでしたが、やはり会津の女子ですね」



 『ならぬことはならぬ』。



 藩の指針が、江戸育ちの彼女にもしっかり叩き込まれている。そんな竹子さまに、いつしか私は親近感を覚えていた。

 きっと彼女は、敵が城下へ攻めてきたならば、自ら薙刀を取って事に当たるだろう。
 その時が来たら、私も彼女の(かたわ)らに身を置きたい。

 この人についてゆきたい。

 敵が攻めてくると聞いて、何もせず不安な日々を送っていたくない。


 喜代美だって同じはず。
 「主君のためにお役に立ちたい」と 強く望んでいるはず。


 その喜代美もいつか出陣することになったら。

 彼の安否を気にしながら屋敷の中で悶々(もんもん)と日々を送るより、彼と共に戦う気持ちで、主君のためにこの身を投じたい。

 薙刀の稽古を重ねながら、私はいつしかそう願っていた。





 「今日はここまでにしましょう」

 「ありがとうございました!」



 稽古が終わって後片づけが済むと、女達はみな家の仕事のため足早に帰ってゆく。
 帰る頃にはもう夕七ツ(午後4時)の鐘が聞こえていた。


 竹子さまに鍛えられて、あちこちが痛い。
 でも帰り道はいつも、清々しい気分に満ちていた。



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