八郎さまは、恥ずかしそうに続けた。
「最初はほんの軽い気持ちだったのです。その恵まれた幸運に、少し揺さぶりをかけてやろうという程度の。
しかし、転がり出した石のように心の勢いが止まらず、あなたには大変失礼な真似をしてしまった。
本当に申し訳ないと思っております」
「それは……」
それじゃあ、八郎さまは喜代美を妬むがゆえに、私に気のあるそぶりを見せてたということ?
呆れたような、ホッとしたような。
……なんだか拍子抜けした気持ち。
(でも そうよね。こんな私に好意を寄せるなんてこと、ある訳ないわよね)
なんとなく心寂しい思いに駆られながらうつむくと、八郎さまは申し訳なさそうに微笑む。
「ですからその櫛は、お詫びのしるしとして受け取っていただきたい」
「いいえ、それならなおのこと受け取れません」
顔をあげ、きっぱりと語尾を強める。
詫びるための品などいらない。
そんな考えで渡されたのなら、余計に受け取りたくない。
八郎さまは困ったように眉を下げた。
「ならば、私が帰ってくるまで預かってもらうというのはいかがでしょう」
彼の提案に、少し考えてから私は頷いた。
「かしこまりました。それでしたら八郎さまがお戻りになるまで、こちらできちんとお預かりさせていただきます。
ですが必ず取りに参られますように。私は受け取る気など毛頭ございませんから」
からかわれた腹いせもあるのかもしれない。
少し突っぱねるように言い添えると、彼はまた困ったように笑った。
「どうか、喜代美と幸せになってください」
その言葉に心揺らされながらも黙したままの私に、しばらく見つめていた八郎さまは姿勢を正して深く頭を下げた。
そのまま立ち去ってゆく背中を、何とも言えない気持ちで見送っていると、中庭から外に出るための細い通路にさしかかったところで、彼はふと足を止めた。
驚くような声が漏れる。
「……喜代美」
※心寂しい……なんとなくさびしいさま。
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