八郎さまの視線を追って、私も遠い先を見つめた。
―――幼い頃のままでいられたなら。
私も、自分の境遇に失望することはなかった。
醜く歪んだ感情を持たず、ひねくれることもなく曇りのない晴れた心のままでいられた。
けれど―――なぜだろう。
それでも私は、喜代美と出会ってからのほうが広い視野を持てた気がする。
喜代美とふたりで見る景色は、どれもまぶしく彩り鮮やかに見えた。
今まで見落としていた小さな命も、過ぎ去ろうとする季節の足音も、それらに目を向け愛しく思う。
そして人の持つ弱さや醜さ、強さや優しさを深く知ることができた。
自分を差し置いてでも、誰かのために何かをしてあげたいと思うようになれた。
そして―――大嫌いだった人は、いつのまにか大好きな人に変わっていた。
「私は……これでよかったのだと思います。
だからこそ、八郎さまにお会いすることができました。
喜代美に会うことができました」
遠くに向けていた視線を再び戻した八郎さまの表情は、わだかまりがすべて消えたような穏やかな微笑をたたえていた。
「そうですね……私も、さよりどのと出会えてよかった」
そうおっしゃって、彼は私の手に残っていたもうひとつの匂い袋を受け取る。
「それから申し訳ございませんが……やはりこれはお返しいたします」
私はそう切り出すと、懐からいただいた櫛を取り出した。
八郎さまにとっても、今さら返されてもどうにもならない櫛。それでも私が持っていてはいけないと思った。
八郎さまは気分を害することもなく、櫛を差し出した私の手を片手で制す。
そして静かに口を開いた。
「私は……喜代美にもあなたにも、申し訳ないことをしてしまいました。
ふたりの仲を妨げるような真似をして、あなたの心も、喜代美の心も乱してしまった……」
つらそうに眉を歪めて一度だけ目を閉じる。
「私は……きっと妬ましかったのでしょう。
実家に帰省するたび生き生きとした表情で、津川の家やあなたのことを話す喜代美が。
だからつい、喜代美の話題に出てくるあなたに興味を惹かれた」
私は目をぱちくりする。
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