けれど悲しんでばかりではいられない。
わが会津藩は天朝さまに仇なす『逆賊』とされ、
鳥羽・伏見の戦いに勝利した新政府軍は、早くも会津追討令を仙台・米沢の両藩に発している。
容保さまは慶喜公にならい恭順の意を示しつつも、これから来るべき戦の準備のため、急ぎ軍制改革を断行しなければならなかった。
すでに三月十日には新たな部隊を編成し、長年続いてきた長沼流兵法を捨て、各部隊にフランス陸軍式の調練を受けさせている。
そして商兵・農兵の徴募。
わが会津藩は二十八万石。
広い国境を守備するには、武士だけでは足りないのが現状だった。
この危機的状況に、戦いを志願する者は身分関係なく兵力に当てられた。
年齢別に編成された正規部隊は、それぞれ東西南北を守護するという中国古来の四神から名をもらい、
朱雀隊(十八~三五歳)、
青龍隊(三六~四九歳)、
玄武隊(五十歳以上)、
白虎隊(十六・十七歳)とした。
さらにそれぞれの部隊は階級によって士中(上級)・寄合(中級)・足軽(下級)に分けられる。
この中で一番若い部隊は、十六・七歳の子弟で編成された白虎隊。
この中の士中二番隊に、おさきちゃんの弟君とおゆきちゃんの兄君、そしてうちの喜代美が配属されている。
年若い彼ら白虎隊は、予備訓練生として編成されたものだから、たとえ正規軍とあっても、彼ら少年兵が戦闘員として戦場へ赴くことはないと思うのだけど。
(だって私は、喜代美に戦場へなんか行ってほしくない)
喜代美との関係がうまくいってないうえに、次々と耳にする良くない世情に気分を塞がれつつ、帰路についた。
郭内に入り、お城西出丸脇の大町通りから左へ曲がり、米代二之丁を歩く。
屋敷の目の前まで来たとき、わが家からさらに向こう三軒の田母神さまのお屋敷から出てくる女性を見かけた。
女子の私でも、思わず息を呑むほどの綺麗な女性。
すらりと高く、背筋もしゃんとした身のこなしの涼やかなその女性は、後ろに女中を伴いこちらへ歩いてくる。
噂は耳にしていたが、その姿を目にしたのは初めてだった。
あの方が……きっと 中野竹子さま。
※断行……困難や反対を押しきり、思いきって実行すること。
※世情……世の中のありさまや事情。
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