この空を羽ばたく鳥のように。





 「しかたないのよね……。武士は戦場で死ぬが本望。
 それを立派に成し遂げた兄上を、私達は誇りに思ってる」



 そう言って、おさきちゃんは弱く笑う。


 花畑大通りにある永瀬家を訪れ、少し面やつれしたその悲しそうな微笑を、返す言葉のないまま沈痛な面持ちで見つめる。



 おさきちゃんの兄君である永瀬雄介さまは、
 林権助安定さま率いる砲兵隊の配下として、伏見奉行所前で他の幕兵や新撰組とともに薩兵と対峙した。


 鳥羽方面から砲声があがると、林隊も門を開き砲撃を開始。伏見でも戦闘が始まる。


 敵との距離はわずか数間。
 しかし薩軍の近代武器の威力は凄まじく、
 林隊は大砲三門でこれに応戦、砲撃の間を計って刀槍で突進したが、敵は槍がくると散りぢりに逃げ、物陰から射撃する戦法をとった。


 これにより、林隊は苦戦を強いられる。


 急ぎ使いを出し陣将に応援を要請するが、
 戦場の混乱の中で使いの者も陣将を見つけられず、

 やむを得ず出会った生駒隊に応援を要請したが、陣将の許可がなければ兵を移動できないと断られ、林隊の苦戦はいよいよ甚だしくなった。



 かくなるうえは、ここを死に場所と定め一歩も退くべからずと、林隊長は弾雨降り注ぐなか采配を振り続けた。


 しかしその隊長も、全身に銃弾を受け大坂に後退する。


 三門あったうちの二門の砲車は破砕、槍で突貫した会津兵達も次々と銃弾に(たお)れた。



 慶応四年(1868年)一月三日のこの日、夕刻から深夜にまで及んだ戦闘は熾烈を極めた。


 砲撃のために起きた火災は辺りの町を焼いて勢いを増し、夜空を赤々と染めあげ天を焦がした。



 旧幕府軍の部隊は死傷者が相次ぎ、次々と戦闘不能に(おちい)る。

 まわりの部隊が退却してゆくなか、林隊もここで踏み留まり孤立して敵に囲まれるよりはと、退却を余儀なくする。






 雄介さまが討死なされたのはこの日。
 林さまも重傷のため、数日後に亡くなられた。



 この戦いは六日まで続き、慶喜公の東帰により旧幕府軍の大敗に終わる。










 ※対峙(たいじ)……対立する二者がにらみ合ったまま動かないでいること。

 ※(はなは)だしい……ふつうの程度をはるかに越えているさま。

 ※熾烈(しれつ)……勢いが盛んで激しいこと。