おたかが消えた方向を見つめる私に、八郎さまが優しく声をかける。
「……少し、お話しできませんか」
「はい……」
私は彼を外から中庭へと案内した。
中庭といっても、うちのは四方を屋敷で囲んでいる訳ではなく、どちらかというとコの字型の建物に囲まれていて、一方面だけ隣家との塀で塞がる造りになっている。
なので隣家との塀づたいに行けば、外から容易く中庭にたどり着ける。
屋敷の中を通れば、母上やみどり姉さまのおもてなしを否応なしに受けかねない。
喜代美にも使いを出すかもしれない。
八郎さまが私に会いに訪れたと意思表示してる以上、それは避けたかった。
塀づたいの細い通りから中庭に来ると、私はそこから自室へと上がり、いましがたお師匠さまに見てもらった着物を入れた風呂敷包みを部屋の隅にそっと置く。
「少々お待ちください。今、麦湯をお持ちいたします」
「いえ、結構です。どうか構わないで下さい」
八郎さまは少しばかり緊張した面持ちで、屋敷の中へ入ってゆく私を止めようとする。
「いえ、すぐですから」
それを一言で遮り、台所へ向かった。
八郎さまは時間が惜しいとばかりのすがるような視線を向けてくる。
けれど私は反対に、できればふたりきりになりたくなくて、このあいだに喜代美が帰ってきてくれないかな、なんて他力本願的なことを考えていた。
冷やした麦湯を運んで自室へ戻ると、八郎さまは桜の木の前に佇んだまま、枝に吊り下げられた一合升を見つめていた。
私は縁側に正座し、お盆を置いてその姿を見つめる。
今年もこのひょろりとした桜の木は、申し訳ない程度の花しかつけなかった。
今はあざやかな緑色の葉をてっぺんあたりのみにつけ、わずかばかりの木陰を作っている。
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