「まあ……!」
えつ子さまは驚いて目を瞠った。
たかだか自分の息子とそう年の違わない小娘に、反対意見を述べられてえつ子さまのお顔が驚きに歪む。
もちろん母上も驚いた様子でこちらを振り向いたが、あえて見ずにえつ子さまだけをまっすぐ見つめて言葉を続けた。
「たしかに喜代美のしたことは、親に心配をかける愚劣な行為だったかもしれません。
手を噛まれ、事が大きくなったのも、情けなくも油断があったからでしょう。
ですが、人より弱い立場である生き物を憐れみ慈しむ心は、けして咎め立てるものではございません。
私は……むしろそんな者たちに目を向け、手を差しのべてやる心も必要だと思うのです」
えつ子さまの目が険しくなる。強い口調で返された。
「いずれ喜代美どのは、津川家の当主として藩からお役職を賜り、お勤めに励まなければならない身の上ですよ。
それが生き物にうつつを抜かし、いざ有事の際に今回のような事をしでかしたら、津川家の面目が立ちません」
「大丈夫です。喜代美はちゃんとわきまえます」
「これ、さより!いいかげんになさい!」
すぐさま言ってのける私の僭越な態度に、たまらず母上が叱り飛ばす。
けれど どうしてもこれだけは言いたくて、母上を無視してさらに続けた。
「両親とえつ子さまにご心配をおかけしたことは、きちんと叱って反省させます。
ただ これだけは認めてあげて下さい。
喜代美は人並みならぬ博愛の持ち主です。
生けるものすべてに温かいまなざしを向けられる子なのです。
それはきっと、実家のご両親の恩恵を色濃く受け継いだからにございましょう。
ですからその芽を摘み取らず、温かく見守ってあげてほしいのです」
「どうかよろしくお頼み申します」と、最後に言葉を添えて、私は両手をつかえて深々と頭を下げた。
※愚劣……おろかで、くだらないこと。
※僭越……自分の地位・立場などを越えて、出過ぎたまねをすること。
※有事……戦争や事変など、平常と変わった事件が起こること。
※博愛……すべてのものを広く平等に愛すること。
※恩恵……利益や幸福をもたらすもの。めぐみ。
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