その時のことを思い出してか、えつ子さまも青ざめる。
息子の起こした行動に戸惑いを見せ、気持ちが高ぶるあまり微かにわななく。
「あまりのことで、わたくしも卒倒しそうになりました。
けれどあの子は何でもないことのように、持っていた手拭いを巻きつけて血止めの処置をすると、帰りも少しも痛がる様子もなく、にこやかに笑って道中を戻ってまいりました」
すべて話し終えると、えつ子さまは大きく息を吐いた。
――――いくらなんでも、毒が回るのを防ぐために己が肉を食いちぎるなんて考えられない。
(喜代美は、えつ子さまを心配させたくなかったのだわ)
と同時に、野良犬が責めを受けないよう、注意をそらせるための行為だったのかもしれない。
そして少しでも噛まれた手を気にしようものなら、えつ子さまに深く心配をかけると思って傷の痛みをけして表に出さず、屋敷に戻ってからも、誰にも気づかれずに手当てを済まそうと、こっそり自室に戻ろうとしたんだわ。
(虎鉄が見つけなければ、私にも隠していたかもしれない)
そうやっていつも喜代美は、自分でぜんぶ抱え込もうとする。
生き物はもちろん、困っている者には迷わず手を差しのべる。
自分のことなどいっさい顧みない。
それだけ自己犠牲が人一倍強いのだ。
私はそんな喜代美がほっとけない。
いじらしくて、何とかしてあげたくなる。
けれどもえつ子さまはかぶりを振り、深く深く嘆息した。
「……どうやら喜代美どのは、まだ津川家の当主となる自覚が足りないようですね。
だからあのような軽率な振るまいをいたすのです。
あれほど生き物ばかりにかまけて自身を疎かにするなと、戻していただくたびに厳しく言い聞かせておりますのに……」
「あの子はとても、優しい子ですから……」
喜代美可愛さに、母上が庇うようにおっしゃると、
「いいえ、いけません」と、えつ子さまはきっぱり言い切った。
※わななく……恐れ・寒さ・緊張などのために体が小刻みにふるえる。
※卒倒……突然意識を失って倒れること。
※顧みない……心にかけない。気にかけない。
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