「参詣のあと、茶店で昼を取ったのです。その店に入るとき、すぐ脇の道ばたに犬がうずくまっておりました。
その犬は肋が見えるほどに痩せ、汚れて毛艶も悪く、とても人に飼われているような犬ではありませんでした」
喜代美が目を伏せると、長いまつげが影を落とす。
その表情が犬を憐れんでいる。
「私は……何か食べさせてやりたくて。
昼食を残して、それを母に内緒で懐紙に包み、袖下に隠しました」
そして代金を払う母君と供の者より先に店を出て、急ぎ手ずから犬に餌を与えようとしたところ、
誤って犬が彼の手を噛んでしまったというのだ。
「悪いのは私です」
喜代美は目を伏せたまま、もう一度 繰り返す。
まるで自分の手を噛んだ犬を庇うように。
――――喜代美の生き物好きは、もう十二分に知っている。
そしてその事になると、途端に気持ちの箍が緩んでしまうことも。
きっと喜代美は、手を噛んだ犬を少しも恨んではいまい。
私や他の人間なら、「畜生が!せっかく情けをかけてやったものを!」と 憤慨したことだろう。
喜代美が責めるのは、いつも自分自身。
だからこそ放っておけなくなる。
「……犬は、与えた餌を全部食べてくれた?」
ため息をひとつついてからそう訊ねると、喜代美はポカンと見つめてくる。
「……あ、はい」
「そう。それはよかったわ」
私がさらりと応じると、瞠目したまま喜代美はたどたどしい声を出した。
「あの……、それだけですか?私はてっきり、その、叱られるとばかり思っておりましたが……」
「そりゃあね、呆れたわよ。でも喜代美らしいっていうか、妙に得心しちゃって。
その犬だって食べ物にありつけて命が繋がったんだし、よかったじゃない。きっと犬も喜んだわよ。
そう思えば、傷を負った甲斐があったってもんよ」
はい、と包帯を巻き終えたその手をポンと叩く。
痛みが走ったのか喜代美は少しだけ顔を歪めたが、その口元にいつもの微笑を浮かべた。
「……ありがとうございます。さより姉上」
「けど、今度からは気をつけるのよ?家族に心配をかけるのは、よくないことだわ」
顔をしかめて言うと、彼は嬉しそうに応じた。
「はい。心得ました」
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