「喜代美……?」
もう一度声をかけると、彼はゆっくり振り向いた。
それはいつもと変わらない、穏やかな表情。
異変に気づいたのは、振り向いた喜代美の右の拳に、血の滲んだ手拭いが巻きつけられていたからだ。
「……喜代美!? その手いったいどうしたのっ!?」
驚いた声をあげ中庭に降りて駆け寄ると、すぐさま喜代美の手を取る。
拳にぐるぐるに巻きつけられた手拭いは、血でほぼ赤く染まっていた。
手拭いをほどいて傷の具合を見ようとするが、
抵抗しているのか、痛みをこらえすぎて力が抜けないのか、握りしめた拳はなかなか開かない。
強張る指を一本一本離すようにして拳を開き、手拭いをゆっくり取り除いてゾッとした。
まるで何かに食いちぎられたかのように、親指の拇指球の皮膚が裂け、肉が見えている。
そっと裏を返すと、手の甲からも出血していた。
刃物で受けた傷じゃない。
何かに噛まれた傷のようだ。
「……とにかく部屋に上がって!傷の手当てしないと!」
私の自室へ促すと、喜代美は突っ立ったまま不安げに表情を曇らせる。
「……さより姉上。あの……このことは、母上には……」
思い詰めたような瞳で見つめられ、胸中を察して急かすように何度も頷いた。
「わかってる。心配させなくないんでしょ?
大丈夫、母上には言わないわ」
強く言ってさらにもう一度大きく頷くと、喜代美は安心したように表情を緩め、素直に従い私の部屋へ上がった。
※拇指球……親指の付け根のふっくらしている部分。
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