花信風が吹いてゆく。
山々は潤い 花の蕾もほころんで、目にも鮮やかな彩りを見せる。
田には水が満々と張られ、その水面は鏡のように美しい景色を映す。
冬の渡り鳥たちも、遠い北の故郷へと帰ってゆく――――。
そんなある日、事件は起きた。
その日 喜代美は、帰省するための支度をしていた。
今日はご実家のお母上のお供で、中田権現さまの参詣に出かけるんだとか。
母君と二人での外出だからか、心なしかその表情が嬉しそうに輝いて見える。
「気をつけて参るのですよ。ご母堂さまにくれぐれもよろしくお伝え申してくださいましね」
「せっかくの母子水入らずの参詣だ。存分に甘えてくるがよいぞ」
いつもながらに手土産をたんと持たせて、養父母である両親はそう言って喜代美を送りだした。
「はい!行って参ります!」
喜代美は顔をほころばせて挨拶をすると、足取りも軽く出かけていった。
新鶴村にある中田権現までは、城下より西へおよそ二里(約7.8km)。ちょっとした遠出というところか。
青空が澄み渡り、穏やかな心地いい日だ。
きっと心に残るいい参詣になるだろうと、誰もが思っていた。
※花信風……花のたよりをもたらす風。花を誘って咲かせる春の風。
※水入らず……身内の者だけで他人をまじえないこと。
※中田権現……現・会津美里町にある弘安寺内に安置されている中田観音のこと。会津ころり三観音のひとつ。
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