「美恵子(みえこ)夫人はご健在ですよね?」

 真彦社長の奥様は財界社交会の顔として有名だ。いろんな場に顔を出し、精力的に活動している。

「あの人とは血が繋がってない。妾腹の生まれだから、俺」

 あっさりとそう言って、柄杓を手に取る。突然の告白に固まる私を尻目に、ゆっくりと水をかける。

「中学生の時に本邸に引き取られたんだ。母親が病弱で、入院がちになったから、それで」
「そう、だったん、ですか……」

 戸惑いを隠せない私に、何でもないことのように笑う。

「別によくある話だろ」
「残念ながら私の周りには、そのような方はおりませんでして」
「俺の周りには結構いたけどな」

 丁寧な手つきで墓石を潤して、軽くごみを払う。
 墓石はきれいに掃除されていて、花立にはすでに花が飾ってあった。

「今日が命日なんだ。毎年必ずこの日は来るようにしてる」

 ジャケットの内ポケットから小さな袋を取り出す。中にはろうそくとお線香が入っていて、それを立てると、今度は別のポケットからライターと数珠を取り出した。

「花」
「あ、はい」

 花束を渡すと、花立の花は変えずに、そのまま墓前に供える。深みのある青紫色が、しめやかな中にも彩を添えた。

「母さんが好きだったんだよな、この花。名前がずーっとわかんなかったんだけど、お前がいきなり飾ってたから、驚いて」

 ああ、だから。あの時あんな穏やかな顔をしたのかと、今更ながら納得した。