町田社長がお帰りになるのをエントランスまで見送って、湯飲みを片付けるために社長室に戻る。さっきの笑顔のかけらも感じられない無表情で書類を読んでいる社長に、無駄だと思いながらも声をかけた。

「週明けの事業開発部との会議ですが、部屋の予約は……」
「もう済んだ」

 ちくしょう。急に決まったことだったから、まだできてないと思ったのに。

「来月の岐阜工場視察の新幹線のチケットは」
「予約した」
「日曜日に接待予定の富木医工の須賀社長ですが、二日後が誕生日ですので」
「数馬酒造の酒を用意してある」

 予想はしていたけど全て手配済みだった。
 須賀社長の好みまで把握してるなんて、完璧すぎてぐうの音も出ない。

「ほかに何か?」
「……定時ですので帰宅させていただきます」
「お疲れさま」

 最後まで書類から目を離すことさえしなかった社長に頭を下げて、社長室を後にした。

 私が考え付くことを、社長は一歩先に考えて全て自分で行ってしまう。上司の意向を汲んでどれだけ先回りして準備できるかが秘書の力の見せ所だとしたら、上條社長の前では私の能力値はゼロだ、なにもさせてもらえない。
 こんな無力感は、秘書室に配属された時以来だ。いや、あの時はわからないなりになんとか頭を使って頑張れたけど、今はわかるのに何もできないのだから、あの時より酷いかもしれない。