私はその日、一番の親友と一番愛しい彼の両方を失った。

誰にも相談できなかった。両親にも、まさか親友の珠紀に彼を奪われただなんて言えない。

結婚は破談に終わり、誰もが私に腫れ物を触るような態度で接し、それが一層つらかった。

このままじゃおかしくなると思い、会社を辞めしばらく家にひきこもる。

大好きな絵を描くような気分にすらならない。このまま深くて暗い穴の中で私は生きていくことになるのかもしれない。

どうしたらその穴から出れるのかもわからなかった。

会社を辞めて丁度一年が経った頃、母の知り合いから街の小さな美術館の事務を募集しているという話を耳にする。

外に出ることはまだ辛かったけれど、こんな自分から脱却したいという思いと両親にそっと背中を押されその小さな美術館に勤めてみることにした。

その美術館は家から二駅ほど向こうの閑静な住宅街にたたずむ一角に位置していて、明治時代、華族が住んでいたという立派な敷地と旧家の雰囲気を留めたまま内部だけ改装されたものだった。

展示会も来場者も忙しい空気はなく、地域に密着した穏やかな美術館で、誰でも自由に入れる立派な日本庭園にはいつも近所の老夫婦や家族が憩っている。

そんな場所で展示される絵を毎日眺めながら、私は少しずつ自分を取り戻していった。

人間って思っていたよりも強い生き物なのね。

そんな風に自分を客観的に見れるようにもなってきた頃、館長の山倉さんに自分でも絵を描いてみたらどうかと勧められた。

絵?

そんなことを言われて、絵が好きだったことすら忘れていた自分に愕然とした。

「何か描きたいものがあるなら描いてごらん。自分の中の言えない気持ちが解放されていくから」

館長にそう言われて考えた。私が描きたいもの・・・・・・。

昔から好きだったゾウがふっと頭をよぎる。

好きだったのにゾウは今まで一度も描いたことがないなということにも気付く。