保健室の扉の前。
私はあるものを目にし、ボーッと突っ立っていた。


『只今不在。用のある生徒は職員室へ。』


保健室の扉にでかでかと貼られたその紙。


「保健室、入れないじゃん。」


小さな声で呟いたつもりが、誰もいない廊下には思ったより私の声は大きく響いた。



保健の先生が不在なのに吉沢くんが保健室にいる可能性なんてあるのかな。

でも、見たところ施錠されてる様子はない。


吉沢くんがいるのかいないのかは分からないけれど、いたら一声かけて戻れば良いし、いなかったらそれはそれで戻れば良い。



「失礼しまーす…」



そろそろと扉を引くと、保健室特有の薬品の匂いが鼻をツンとさした。

とりあえず部屋をぐるっと見渡してみる。


健康診断以外で保健室を訪れたことのない素晴らしく健康な体をもった私は、「保健室ってこんなだっけ」と、吉沢くんを連れ戻すという本来の目的を忘れ、ただただ保健室を興味深く見て回った。



へぇー、こんなに薬あるんだ。
こんなとこにジャージがある、なんで?

あ、身長伸びたかなぁー?
ちょっと測ってみるか。



そっと上履きを脱いで、身長測定器に足を乗せようとしたその時。



「……誰かいるの」



低すぎず、でも高くない。
心地良く耳に響いてくる、しかし、どこか儚くも壊れてしまいそうに透き通るような声が、静かに響いた。


声のした方に目を向けると、ひとつだけカーテンで閉じられたベッドがある。



……吉沢くんだ。

吉沢くんの声をクラスで聞いた事はなかったけど、何となく直感でそうだと感じた。


意を決してベッドに近づく。



「吉沢くん、隣の席の笹本です。委員会決めるから戻ってきて欲しいんだけど。」



吉沢くんからの返事はない。



「あのー…聞こえてますか?吉沢くん来ないとみんな困っちゃうんだけど…」



少し下手から出てみるが相変わらず返事はない。

仕方ない、もう一度声をかけても返事がなければ諦めて戻ろう。

そう決めて小さく息を吸ったとほぼ同時に。




「ねえ、もっとこっち来て。」

「えっ?」

「カーテンのすぐ前まで来て。」

「…なんで?」



私の問いかけに吉沢くんからの返事はない。

意味分かんないけど、とりあえず近づいてみる。


カーテンが鼻の先につきそうな距離まで来たその瞬間。



「えっ、うわっ…!」



気付いたら目の前に静かな笑みを浮かべ、私の右手をとった吉沢くんがいた。
その状態のまま、私は彼の前に突っ立っていた。



「そんなに話を聞いて欲しいなら、ちゃんと目を見て話すべきじゃない?」



ほんの少し目にかかった前髪からのぞく吉沢くんの瞳がじっと私の瞳を捉える。

そして、また少し笑った。



全く話したことのない隣の席の男の子に腕を引っ張られ保健室で2人きりというカオスな状況なのに、私はなぜか吉沢くんから目が離せなかった。

白く透き通るよう綺麗な肌。
長いまつげにどこか憂いを帯びている瞳。
無造作だけど自然な黒い髪がさらりと揺れる。
そして、彼のつくりだす不思議な雰囲気。

彫刻のように美しい人だと思った。

大げさではなく、心からそう思った。



「おーい笹本さん?大丈夫?」

「あ、だっ大丈夫。」



吉沢くんの雰囲気に圧倒されてしまっていた。



「委員会決めるから戻って来て欲しいんだけど…」

と、途中まで言いかけて私は言うのをやめた。




「吉沢くんは何でいつも保健室にいるの?」




私は別に面食いではない。
吉沢くんのような人がタイプというわけでもない。


でもなぜか。

なんでも良いから彼のことをもっと知りたいと思ってしまった。