でも、そのカフェオレを飲むころにはもうすっかり冷たくなっていた。オフィスに一人きりになっても書類が完成する目途がたたない。トイレに行く暇も、何かを口にする時間すらも惜しい。

榊さんには完成し終えなくても報告しろと言われた。多分それは別日に期限を設けられるということ…。だったら今日完璧に仕上げて綺麗さっぱりこの件を終わらせるのがいい。

それから私はずっとキーボードを打ち続け、書類が完成した頃には22時30分を回っていた。安堵の後、どっと疲れが押し寄せた。肩は痛いし眼も痛い。おまけに頭痛もしてきた。きっと今ひどい顏をしているんだろうな…。そんなことを考えながら急いでエレベーターに乗り、専務室まで向かう。フロアの蛍光灯は全部ついていて、今の私にはとても眩しい。

専務室の前までやって来て、息を整えてからノックをすると、榊さんの声が聞こえた。

「失礼、します…」

恐る恐る入室すると、榊さんもデスクに向かい仕事をしているようだった。私が部屋まで入りきると、顔をあげた榊さんと目が合った。

「すみません、遅くなりましたが出来ましたので、確認をお願いします」

「わかりました。すぐ確認します」
書類を渡すとき、緊張を悟られないよう平然としようとして、かえって目が泳いでしまい逆に不自然になる。

手持無沙汰で立ち尽くしていると、「そこに座って下さって結構ですよ?」と榊さんに促される。

「あっ、はい…失礼します」

紙をめくる音だけが室内に響く。
お願い、早く終わって…!そう思いながら腕時計の秒針を見つめる。もう長針は45分を指していた。早くしないと警備員さんが来ちゃう…。そんな不安を抱き始めた頃、榊さんが立ち上がった。反射的に私も立ち上がる。

「うん、いいですね。問題ないです。」

「…はい、すみませんでした。以後気をつけます」

頭を下げると沈黙が訪れた。

「あ、あの、失礼しても…?」
一秒でもこの場から立ち去りたかった。だけど、榊さんからは予想外の言葉が返って来る。

「及川さん、近くまで送ります」

そう言って榊さんはデスクトップの電源を落とし、ポールハンガーからコートをとり、袖を通す。

いやいやいや、気持ちはすごく嬉しいけど送るなんてほんとにごめんだよ…!
「えっと、その…私、お迎えが来ているので大丈夫です…!」
迎えに来てくれる人なんて誰もいないけど…!

「…そうですか、なら下まで一緒に行きましょうか」

「は、はい…そうですね…」

さすがに断ることは出来なくて、承諾した。自分のオフィスに到着し、榊さんにもうここまででいいという意を込めて挨拶をした。

「下まで行くんですよね?早く準備してください。待ってますから」

「…その、私準備とか全然出来てなくて、お手洗いにも行きたいですし…えっと、だから本当に先に帰っていただいて大丈夫です。気を使わせてしまってごめんなさい…」
意識しているわけではない。だけど、榊さんと二人でいる時間を増やすのはどうしても避けたかった。自分の胸の鼓動をずっと耳の奥で聞いているのは嫌だった。

「はぁ。なら及川さん気をつけてくださいね。遅くまでお疲れ様でした」

腑に落ちない顔をしていたが、榊さんはまたエレベーターに乗り込んだ。