色の優しさに、甘えてはダメだ。
 彼のために自分の願いは諦めるのだと決めたはずだ。
 堪えてたはずの、涙が左目からポロリと一粒流れた。それを見た色は、不思議そうにそれを眺めながら翠の言葉を、待っていた。


 「辞めたい、です。」


 その言葉を声にした時。
 色はすぐに顔色を変えた。
 迎えに来てくれた時と同じぐらいに真っ黒な表情に変わった。

 自分の決めた事を伝えてきった、翠は「冷泉様、すみません。」と言い、その場から立ち上がって逃げようとした。

 だが、その瞬間に翠の視界が変わった。
 気づいた時には、肩や腰に多少の痛みが走り、視界いっぱいに色の顔があった。
 それは、今までで1番の怒りの表情で、冷淡な瞳が翠に恐怖を感じさせていた。
 押し倒された。そうわかったのは、しばらくかかってからだった。


 「もう一度聞く。おまえは、辞めたいのか?」


 それは、とても低く唸るような声で、色の怒りが強いことがわかるものだった。
 翠は、泣きそうになるのを堪えながら、それでも色の瞳を見つめた。なるべく彼に負けないように、強い視線にしたかったが、どうしても出来なかった。


 「……はい。」
 

 涙はもう流れないが、声が震えてしまう。
 それを隠すように、色を見上げる視線が鋭くなる。だが、それで怯むような彼ではもちろんなかった。

 「俺と会うのが嫌になったか?」
 「………え?」
 「俺に教えるのが嫌になったのかって言ってんだよっ!」
 「………ち、ちがいます!そんな事、絶対にないですっ!」

 彼の問い掛けは、翠にとっては辛いものばかりだった。
 色を嫌いになるはずなどない。教えるのが嫌になるはずがないのだ。その逆の気持ちなのだから。

 彼の激しい口調に合わせるように、翠も自分でも驚くような大きな声で叫ぶように言ってしまったが、もう止まらなかった。


 「冷泉様が心配なんです。私、神崎さんに言われるまで、冷泉様が疲れているの気づかなくて。お忙しいってわかってたのに、自分の事ばかり考えて、わからなかったのが悔しいんです。」
 「だから、それは気にしなくていいって言ってるだろ!」
 「私が気にするんです……!」
 「おまえ、なんでそんなに………。」

 不思議そうに、自分を見つめてくる色の顔を間近で見つめて、あぁ………この人の事がとても好きだと、実感してしまう。
 
 ただのお店のスタッフだった自分にここまで優しくしてくれて、そして、感情をぶつけながらも、しっかりと話を聞いてくれる。
 一つ一つに真面目で、俺様だけどしっかり見てくれる人、とてもマメだで、そして温かい人。

 目の前の冷泉色という人が愛しくて仕方がなかった。

 ずっとずっと隠していた気持ちが、我慢できなくやって溢れ出てきてしまうのに、翠自身が感じていた。
 こんなにも好きな人が近くにいる。まだ、手を伸ばせば届く距離にいるのだから。


 「冷泉様が好きです。」
 「………おまえ………。」
 「冷泉が好きだから、心配なんです!」

 堪えてきれなくなった感情と涙を溢しながら、気づくとそう色に伝えていた。
 彼の表情はボヤけて何も見えなかった。