「え…?」

「あれ、桃田さん?偶然ですね!」

銀縁の眼鏡こそないものの、それが菊池さんであることはすぐにわかった。

「桃ちゃん、知り合いなの?」

舞のその問いかけは耳に入っていたが、それがどっちのことを指すのか、私の頭はパニック状態で。

「そうそう、これ。ずっと持ち歩いてたの。あの後私もなかなか教室に行けなくて」

菊池さんはポーチから、あの日私が貸した黒猫の着物クリップを差し出した。

「私も同じやつの色違い買っちゃった。本当にありがとうね」

「あ、いえ…」

私はそれを受け取って、コートのポケットにしまう。

立ちすくむ私に、鈴木くんが声を掛けてくれるが、それもよく聞こえない。
ぐっと峰岸くんに後ろから抱きつかれたが、抵抗する力も入らなかった。

「結婚式かな?いいね~若いって」

くすっと菊池さんは微笑んで、ね、と隣の男性に目をやる。

「……そうだね」

― その低い声、知ってる。

視界がどんどん滲んで、呼吸が浅くなっていった。

いよいよ様子のおかしい私に気付いたのであろう。
舞は、峰岸くんを引きはがして私の腕を取る。

「…………菊池さんと…“先生”って、そうだったんですね」

「やだ、なんか、変なとこ見られちゃったね」

女っぽく笑う菊池さんに、私は掴みかかろうとしていたらしい。
「桃!」という舞の声で、はっと我に返った。

「もう行こう。ね」

さっきまで酔っていたはずの峰岸くんは、今度はしっかりした足取りで私の肩を抱いてそう言う。

「…っふ…」

その“カップル”たちに背を向けた途端、堪えきれず溢れた涙。
マフラーの中で小さく漏らした声には、たぶんそこにいた全員が気付いていた。