彼氏がいなくなった


「ちょ、日野代わりに打って。そんでさも私が打ったことにしよ」

「いやむり一部始終聞かれてる」


 バッティングセンターのおばちゃん管理人がフェンスの向こうで微笑ましそうに多香を応援しようものなら、彼女はさもまだまだこれからだと言わんばかりにバットを握り直す。

 制服のスカートから覗くカモシカのような足が寒さに震えて、
 使い古した毛玉だらけの手袋はそろそろ暇に出した方が良さそうだ。


「なんかご褒美ねーとやる気も起こんねーよー」

「例えば?」

「ゆめやのホームランバー10本」

「そんな食ったら腹壊すわ」

「うまい棒納豆味10本」

「くせーよ」

 っていうかお前って。

「引き合いに彼氏の“か”の字も出ないんか」

「およ?日野くんが裸でグラウンド10周でもしてくれんの」

「誰得だよするわけねーだろそんなもん」

 けど。

 座ったベンチ、そこで膝に両腕を置いていた自分はそのまま唇に手を添える。突如言葉を止めた俺に気付いたのか、多香もバットを肩に置いたまま振り向いた。


「キスくらいならしてもいい」