特に気の利いた言葉も言えないし、ピーターくんもそれを求めてはいないようだったから、何も言わずに私も立ち上がる。

夕方5時。もう少しで、ネバーランドの門が閉まる。

もう少し、話していたいのに。


そんなことを考えたからだろうか、ぽつり、と控えめな雫が、頬を濡らした。

「雨だ」

彼は立ち止まって、困った顔をする。

「一日中晴れの予報だったのに」

「島の天気は変わりやすいからね。その内大雨になるよ」

「ええ!じゃあ小雨のうちにダッシュで帰ろう!」

「ごめん俺、走れない」

「えっ?………………あっ……………、ああ………」

無神経なことを言ってしまった。考えればわかる事なのに。

ピーターくんは何も言わずに私の手を引いて、元居た横倒しの丸太に、腰を下ろすように促した。

「ごめんな、付き合わせて」

「……わ、私こそごめん…無神経なこと」

「ばか、別に気にしないから」

そう笑って彼も、私のすぐ横に再び腰を下ろした。本当に何にも気にしていないような横顔だった。

そうしてしばらくは、互いに黙り込んで雨粒を眺めていた。ピーターくんの言った通り、雨はすぐに激しくなった。そうゆう雨ならすぐに止むと聞いたが、こうも沈黙だとそれすら永遠みたいに長く思えてしまいそうだ。

時折 隣から聞こえる、ガサついた空咳が少し気がかりだった。

「ピーターくん、私の上着貸すよ。体冷やすのはきっとあんまりよくないでしょう?」

そう言って脱ぎかけた薄いジャケットを、ピーターくんは片手で制した。

「体を冷やしたら風邪を引くのはふうも同じでしょ。俺の方が厚着してるんだから要らないよ」

確かにピーターくんはいつも、春にしては少し厚着だ。でもそれこそが身体を冷やしたくない証拠だろうに。

しかし我に返ると女の子が男の子に上着を貸すのは如何なものかと考え、仕方なしに上着を着直した。もとより、この沈黙を破りたかっただけなのだ。

そんなことすら見透かしたように、ピーターくんは会話を終わりにしなかった。


「ピーター・パンはね」

呟きながら、彼は半身を横に倒して丸太に寝転んだ。ああ、清潔なパジャマが汚れてしまう。


「ネバーランドに生まれたわけじゃない。生まれたその日に家出をしたんだ。どうしてだと思う?」

「……………どうして?」

「彼の両親が、ピーターはどんな大人になるかな、って話をするのを聴いたからだよ。ピーターは大人になりたくなかった。いつまでも子供のままで楽しく過ごしたかった。だから、家を出た」


俺もおんなじなんだ、と彼はその真っ黒い瞳を瞼の奥に隠した。


「大人になる自分のことを考えたくなくて、子供の、このままで生きていたくて、ネバーランドに逃げてきた」


だるそうなくぐもった声。


「今でも、時間が止まればいいって本気で思う」


瞼の奥で、どんな顔をしているかは分からなかった。泣いてもいない、でもきっと笑ってもいない。


「どうして?」


きっと話してはくれないと思いながらも聞いた。

予想通り、彼はイタズラっぽく「続きはまた」と笑う。

おあずけを喰らってしまったが、不思議と嫌な気はしない。だって彼は必ず続きを話してくれるから。次会う約束をくれるみたいで、嬉しかった。




それならほんの少しの間だけ、栞を挟んでおこう。それもなかなか悪くない。