ピーターパンくんは私を案内してくれた由梨という女の子にお礼を言うと、少し話そうよと私を誘って、昨日の湖へと場所を移した。

あの施設から森の湖までは、すぐだった。


「名前も顔もすぐバレるとは思ったけど、思ってたより早かったな」

「……………知られたくなかった?」

「別に。でもピーターパンごっこも案外悪くなかったよ」


彼は湖のほとりで横倒しになっていた木に腰をかけ、足をぷらぷらと遊ばせる。

昨日と同じように、彼はペラペラのスラックスとシャツの上からカーディガンを羽織り、クロックスを履いただけのパジャマみたいな格好だった。

それも、昨日はあまり気にならなかった。
それよりも彼の纏うお伽噺のような雰囲気に、夢中だったから。

だけど今日は違った。ネバーランドが児童養護施設で、ピーターパンくんが普通の男の子だと知って、聞かずにはいられなかった。


「………ピーターパンくんは、空っていうの?」

「うん、そうだよ」

「…………空くんは、どこか悪いの?」



彼は、あんまり驚いたような顔はしなかった。

私がここに来た時から、この質問が飛んでくるのは分かっていたのだろう。

先程と同じように淡々と、うん そうだよ、と頷いた。


「生まれつき肺が弱いんだ」

「肺………」

「大したことないんだけどね。ここは空気もいいし」

なんてこともないように彼は淡々と話す。


「昨日さ、ふうに俺の事ピーターパンって言われて、まぁ正直、ぶっちゃけ、なんだこいつ頭大丈夫かよって思ったんだけど」

「え、酷いなおい」

突然の悪口に思わず鋭めのツッコミを入れる。

確かにあの発言は自分でもイタイと思ったけど、そんなにハッキリ言わなくても。
だってネバーランドから来たとか言うから。

私の反応に、ピーターパンくんは悪戯に成功した子供ようにけたけたと、とても可笑しそうに笑う。ほんとうに、子供みたいに。


「でもな。同時にどっかで、妙に納得したような気分になってさ」


かと思えば彼は、すっと目を細めて、遠くを見詰めて。なにかを諦めた大人みたいな顔をする。


「……どうして?」

「俺も大人になりたくないからだよ」

「……………どうして」

「さぁて、どうしてでしょう?」


そう弾んだ彼の声は、ひらりと何かをかわす様に翻り、するするとこの手のひらをすり抜ける。

掴みどころがない。蝶みたいに。


「…教えてくれないの?」

「今日はね。だって、物語はイッキ読みするよりゆっくり読んだ方がいいよ。世界感に浸れるし、登場人物に愛着が湧くだろ?」

「……ちょっと、何が言いたいか分からない…」

「今は分からなくていいよ。物語なんて、一度きり読んだだけじゃあ完璧には理解できないのが普通だ。見落とした表情や、気づけなかった本音は絶対にどこかにあるし」

「…………よくわかんないけど、とどのつまりは少しずつゆっくり教えてくれるってこと?」

「まぁ、そーゆうこと」


彼の小洒落た難しい言い回しは、読書好きからくるものだろうか。

相変わらず何が言いたいのか分かりづらいが、それ以上に彼が私と頻繁に会うつもりでいるらしいことが嬉しかった。

だからとりあえず今は、それでいいのだろう。



けほ、と小さく咳を零すと、彼は立ち上がった。

「帰ろ。二郎先生になんにも言わずに来たから、心配してるかも」

そう言って肩からずり落ちていたカーディガンを羽織り直す。もう春だと言うのにパジャマの上から厚手のカーディガンを羽織って、それなのに真っ白い肌は汗ひとつ滲んでいない。

同じようにここに居るのに、世界だけが別々みたいだ。


ネバーランドが児童養護施設で、ピーターパンが病気の少年だと知った今でも、彼はまだ絵本の中の存在のように思えた。



………知りたい。ピーターパンくんのこと。

少しずつでもいい、ゆっくりでいい。そうだな、ピーターパンくん風に言うのなら………


そう、物語を読み進めるように。