―それでも、この時間は永遠ではなかった。
僕にはもう、彼女と物語を紡ぐ力が残っていない。
そう気付いた時、彼女に何かを残したいと思った。
僕にはもうやってこない、明るい未来を。
そんなに大きなことはしなくていい。
ただ彼女に変わるきっかけを。
ほんの一押し、背中を押してやるだけでいい。
僕は考えた。
彼女に未来を選ぶ自由を与えた。
彼女が一人でも生きていけるように。
悩まなくて済むように。
悲しい思いをしなくて済むように。
その時間も、僕にとっては幸せなひとときだった。
でも、僕の手を離れていくのが、
本当はとても怖かった。
彼女はもう、一人でも十分生きていける。
僕がいなくても困らないだろう。
そう思うと、寂しくて、切なくて。
僕はある時、彼女にこう言った。
「僕に君の時間をくれないか?」
彼女は、戸惑った。
顔を歪めて、嫌だと嫌悪した。
僕の存在が否定されているようで悲しかった。
それでも僕は、時間が欲しいと頼んだ。
そんな思いが通じてか、彼女はついに
僕の願いを聞いてくれると言った。
とても、嬉しかった。
この時間を使って何をしようか。
いたずらをしようか、
彼女と同じように日常生活を過ごしてみようか。
いろんなことを考えた。
僕は気が済んだら彼女に時間を返すと約束したが、
本音を言うと、返したくないと思った。
このまま、彼女の時間を僕のものにしてしまおうと思った。
でも、出来なかった。
彼女の笑顔がちらついて、頭を離れなかった。
もし僕がこのまま彼女の時間を自分のものにしたら、
彼女の未来は閉ざされてしまう。
そんなことになるのは嫌だった。
じゃあ、何をする?
僕は、この時間をどう使う?
答えは、最初から決まっていた。
ずっとこうしたいと思っていた。
僕に時間が残されていないなら、
せめて僕のこの想いを永遠に閉じ込めておきたい。
僕にはもう、それしか術がなかった。
だって僕は、小説家だから。
僕は書いた。書いて、書いて、書き続けた。
時間も忘れて、書きなぐった。
とにかく彼女に伝えたかった。
小説を書く技術も何も要らない。
この想いだけで、充分だった。
僕には、彼女にどうしても伝えたいことがある。
あのね、僕は、君が好きだよ。
屈託なく笑う笑顔とか、
楽しそうに物語を語る姿とか、
何かに悩んで、頭を抱えるところとか、
心を震わせて涙を流す姿とか。
僕にはそれらがとても輝いて見えた。
笑っていたら僕も笑いたくなったし、
泣いていたら涙を拭ってやりたくなった。
その手に、触れたいとさえ思った。
それだけ君が、好きだった。
僕はもう、遠くへ行かなければいけない。
君と僕の人生が交差することはないだろう。
でも、僕は信じている。
誰かが言ったように、来世を信じている。
君はきっと、これから先いろんなことを経験して、
大人になって、素敵な人に出会い、結婚し、子どもを産む。
子育てをして、時には苦労もして、涙を流し、それでも笑って、歳をとる。
そしていつかは死に向かうだろう。
君が逝く時には必ず、僕が迎えに行こう。
そして、来世で必ず、出会うんだ。
だって僕らは、一蓮托生なのだから。
そうしたら今度は直接、君に伝えよう。
君を、愛していると。


