「世の中は金だ。」

知り合いの詐欺師は決め台詞のようにその言葉をよく言う。

お金。

お金はたぶん、今の世を生き抜くためにほとんど1番と言っていいほどに大切なものである。

かくいう私もお金は大好きだ。

ノーマネーノーライフとはよくいうものだ。

しかしその詐欺師は「金のためなら死んでもいい」と言う。

金。

まあしかし金は好き嫌いではなく、無くてはならないものであって、普通「死んでもいい」までは言わない筈なのである。

金のために騙す非合法職業「詐欺師」。

さっき述べたこととは矛盾してしまうが、言ってしまえば金なんて価値の基準みたいなもので、価値を見出す者がいなくなってしまえばもはやただの紙切れだ。

そんないつただの紙切れに成り下がるかも分からないもののために死ねるかというものだ。

金なんてただのものを得るための手段でしかない。

病的なまでに金が好きな理由を聞けば、

「お前はゲームが好きか」何故ゲームが好きであるか、考えたことはあるか」それと同じだ」好きなことに理由なんてものは無い」

また、嫌いなことには必ず理由はあるという。

毛嫌いという言葉もあるのだが、それもまた「生理的に受け付けない」という理由が伴っている。

因みに、リアルを充分すぎるほどに充実させていて彼氏もいるパーリーピーポーという謎な類に分類されている知り合いの高校2年生の田中さん(匿名)に「彼氏の好きなところ」なるものを聞いてみたりしたがやはり理由なんてものはないらしい。

「理由付けが必要ないくらいに好きなんだよ」そりゃあ、かっこいいだったりノリがいいだったり爪が綺麗だったり、こじつけようと思えばいくらでも理由なんかこじつけられるけれどさ、やっぱり好きだな、ってそういう感じがするってだけだから」理由のこじつけなんて今じゃなくていいんだよ」好きなことに自信がなくなってくると理由をこじつけたくなるんだよ」好きなことに自信が無くなってきても、それでもきっとずっと一緒にいたいって思えば理由をこじつけるようとするようになるんだよ」

長々語ってくれたがつまりは好きの理由はこじつけに他ならないと、そういうことらしい。

分からなくもないがとりあえず爆発しろ。と、僕は思いました。(アレ? 作文?)

金とはあの詐欺師にとってはただの愛すべきものというだけではなくアイデンティティであり生き甲斐でもあるということだった。