いったい誰の話をしているのだろう。
気になりつつも黙っていると、さっきまでとは違うはっきりとした声色で、男が初めて聞く名前を口にした。

「博世?」

その呼びかけに応えるように漏れてくる声が男性のもので、私は密かに胸を撫で下ろす。
友達だろうか。それとも職場の人かな。

「ああ、うん。今起きたところだけど……いや、別に」

どうやらすぐには終わりそうにない雰囲気に、退屈になって来た私は、朝食の準備でもしようかと思い始める。
ご飯、作ってこようかな。
だけど携帯を持っていない方の腕がまた、私の身体に回される。

「今から?いや、無理だろ。てか、お前は今どこに居るんだよ。日本に帰って来たんだろ?」

もしかして何かのお誘いなのかな。
それなら私は早めに帰った方が。

「家?ああ、姫子か」

姫子……。
突然口にしたその名前に、つい身体が強張ってしまう。
その正体が椿社長の妹とわかった今も、なんだか警戒してしまうのは、この一ヶ月の勘違いのせいだろう。
そして電話はどうやら、「姫子」に関係あるらしい。