「ごちそうさまでした!」
「お粗末様でした。さゆ、おいで」
「ん?どうしたの?」
朝ごはんを食べ終えた早百合を早速捕まえる。
「さゆ。宿題の進みはどう?」
「え…っと…そこそこ?」
はぐらかしてる。この反応はやっぱり…
「どれくらい?」
「えっとえぇーと…ね?」
早百合の額に冷や汗が滲む。…そろそろ白状しなさい。
「どの教科のワークの何ページまでやった?」
「…国語二ページだけです助けてください!」
追い詰められた早百合は腰を90°に曲げ、例年通り俺に助けを求めてきた。
予想通りだったが、今年は二ページ進めてるだけまだマシである。
いつもは俺が早百合に付きっきりで教えるのだが、今年は違う。
「勿論今年も手伝うけど、今年は先生にお願いしてるから、勉強道具持って先生の家いくよ」
「え…?」
教える人間が一人増える話をしたら、早百合の瞳に不安の色が宿った。
きっと、先生と聞いて厳しい先生を想像してしまったのかもしれない。
「大丈夫。怖い人じゃないし、早百合もよく知ってる人だから」
そう言って頭を撫でてやっても、不安の色は消えない。
「えっと…そうじゃないの…」
「さゆ?」
「…ん?…あ…やっぱなんでもない。勉強道具持ってくるね」
もじもじしている早百合を変に思い呼び掛けると、早百合ははっとした感じで自分の部屋へ行ってしまった。
他にも何か不安要素でもあるのだろうか。
あいつの家に行く数分で話を聞いておこう。
「お待たせ。行こ?」
部屋から戻ってきて、外に出るのを促すとき、早百合はどこが切な気な表情をしていた。
確かにこれは先生が嫌とかそういう感じではない。
昨日の心霊番組を思い出してしまったのだろうか。
違う。もしそうだったら、こんな表情なんてせずに顔を真っ青にして俺に抱きついているはずだ。
まさか、また体調を崩したとか!?
早百合は体が少し弱く、すぐに気分が悪くなったりする。
そのため、こういうちょっとした変化は怖い。
いつもの頭痛だろうか?それとも吐き気?体がだるい可能性もある。
…いや、今朝のパンケーキをぺろりと完食していた辺り、体調不良はないだろう。
じゃあ何なのだ。何が早百合の胸を痛ませているのか全く予想がつかない。
玄関を出るときも、いつものように「お兄ちゃん早く!」と急かすのではなく、俺の後ろに大人しく着いてくるだけ。
俺が振り返っても何の反応も示さず、靴を履いたままボーっと突っ立ったまま。
「嫌だったら行かなくてもいいんだよ?…さゆ?おーい。さゆ聞こえてる?」
心配になって声を掛けても返事が無かったため、何度も早百合を呼ぶが、変わらず反応がない。
これは最後の手段か、と幼い頃から早百合の相棒である早百合の眼鏡を勢いよく外した。
これがないと早百合は外へ出歩けない程視界がぼやけるらしい。
最早生命線の一つと言っても過言ではないものを盗られれば、流石に意識は戻るだろう。
「ふぁっ!?お、お兄ちゃん?」
予想通り突然ぼやけた視界に驚いた早百合は可愛らしい悲鳴を上げ、シルエットだけ見えるであろう俺の顔を見た。
「さゆ、何でそんなにボーっとしてるの?何かあった?」
「お兄ちゃん。それより眼鏡返して…」
「教えてくれれば返すから。やっぱり先生に教えてもらうの嫌だった?」
「違うよ!それは本当に違うから!」
「じゃあどうして?」
「あの…ね?その…」
理由を問いだしてみると、早百合は宿題の事について訊かれたとき以上に言いづらそうに視線をあちこちさ迷わせている。
「言いづらい事?」
「う、うん」
「そっか。なら言わなくてもいいよ。でも、嫌なこととかあったらちゃんと言うんだよ?」
「ありがとう…お兄ちゃん」
口ごもるほど言いたくない事なら、無理して言わせる必要はない。
それにしても、早百合が俺に言いたくないほど悩んでいる事って相当大きな事だな。
思い詰めて爆発しないといいが…
早百合に眼鏡を返し、今度こそあいつの家へ出発した。
あいつの家に着くまでの道中、早百合はずっと俺のTシャツの裾を掴んでいた。
不思議に思い、その小さな手を剥がし代わりに繋いでやると、家を出るときよりかは表情がほぐれていつもの早百合に戻った。
途中我に返りいかんいかん、と手を離そうとすると早百合はそれを咎めるように繋ぐ力を強めて離す事を許してくれなかった。
そんな可愛らしい早百合の行動に手だけではなく、心まで締め付けられた気分だ。
俺もこんなだからこの想いを捨てきれないのだろう。
結局、早百合と手を繋いだまま、あいつの家に到着した。
「お兄ちゃん、ここって…」
「な?早百合もよく知ってる人だろ?」
俺がさっきから先生と言っていたのは、あいつ改め俺らの幼馴染の三條廉也。
廉也は幼稚園に通う前から仲が良く、家も近所だったため俺の昔からの良き親友だ。
幼稚園から中学校まで同じ場所で同じ時間を過ごし、なんと高校まで同じという腐れ縁っぷり。
何故そんな廉也が早百合の彼氏候補なのか。
きっかけは俺らが中学1年生の頃、帰り道を二人で帰っていたときのこと。
─なぁ由宇。
─何?改まった感じ出して。
─俺、早百合の事好きなんだ。
─は?
─本気だ。小さい頃からずっと好きだったぞ。
─…
─ははっ。その反応は知らなかった顔だな。まさか由宇が俺のことで知らないことがあっただなんてな。
─…それで?
─俺なら早百合の事を外部の人間の中で一番よく知ってるし、早百合の事は大切にする。だから、早百合さえよければ付き合いたいとも思っている。だから、兄のお前に意見を聞きたい。
─…廉也が早百合を大切にできることぐらい知ってるよ。駄目とは言わない。ただ、付き合う前に手を出したり無理やり付き合わせたら…縁を切るだけじゃ済まないのは頭に入れとけ。分かったな…?
あの時の廉也への殺意は今でもはっきりと覚えている。
柄に合わず胸ぐらを掴んで脅しまでかけてしまったし。
あの後家に帰ってじっくり考えたが、まだまだ思春期真っ最中だった俺は、馬鹿かまだ早百合は10歳だぞ、など廉也と付き合ってほしくないという気持ちしかなくて、二人の交際を認める気はこれっぽっちもなかった。
今考えれば、廉也は真面目な優等生だし、早百合への理解もある、立派な男だ。
廉也からの衝撃の告白から五年。遅くなってしまったが、俺の決心はついた。
この夏休みで早百合の心を捕まえるのは、廉也次第だ。
「来たか。久しぶりだな由宇、早百合」
「久しぶり。今日は色々頼むよ」
本当に色々頼む。
「久しぶり!先生が廉也で安心だよ。先生、よろしくお願いします!」
「そろそろ二人とも上がってくれ。このまま外にいたら体が溶ける」
廉也に促されるまま通いなれた家へと上がる。
今日はいつもと違う用件で来ているからか、俺には少しだけ余所余所しさを感じてしまう。
昔と比べて随分と増えた本に囲まれた廉也の部屋へ案内される。
早百合が勉強机についたのを確認し、一旦廊下に廉也を連れ出す。
「前も言った通り、早百合にアプローチするのを許可する。が!早百合泣かせたり、手を出したら…分かってるよなァ?」
「おお怖い怖い。心得ているから安心しろ」
最終通告は済ませた。後は二人に任せた。
「さゆ。俺、今からちょっと飲み物とか買ってくるから、勉強、頑張るんだよ?」
「え…だったら私も行きたい!」
このっ…人の気も知らないで。
「駄目。さゆは勉強に集中しなさい」
「お兄ちゃん…行っちゃやだ」
涙目&上目遣いでそんな事を言われては、二人きりにしたくなくなるではないか。
駄目だ駄目だ!これもけじめをつける第一歩なんだ!
「…っ!そんな事言わない!ちゃんと戻るから。その間、廉也がいてくれるから…な?」
すまない早百合!これはお前の為なんだ!
早百合を椅子に押し付け、半ば逃げるように外へ出た。
部屋では廉也がなんとか早百合を宥めてくれている事だろう。
廉也の家の目の前にある公園のベンチに腰掛ける。
嗚呼やっと一息つけた。
早百合ときたら…いつまで経ってもお兄ちゃん、お兄ちゃんって。
今日から少しずつそれもなくなるのだろう。
「…ッ」
やっと早百合も大人になれる。そう思うと喜びやら寂しさで目頭がツンと熱くなってきた。
