「遥斗……っ」


思わず時計をぎゅっと握りしめ、ゴールデンウィーク明けの朝以来に、遥斗の名前を呼んだ。だけど全然、自分でもすごくぎこちない。生まれたときから今まで、遥斗の名前を一番多く呼んでいるはずなのに。


遥斗は足を止め、顔だけこちらに向けてくれた。もうそれだけで嬉しかった。その表情は、決して優しくないけれど…。


「あの…ありがとう、届けてくれて」


よかった、ちゃんとお礼が伝えられた。お礼も言えない関係なんて、悲しすぎるから…。

たとえお礼だけでも、話せたこと自体が、嬉しい。もしかして、これを機に話せるようになるかも……

……わたしのそんな甘い考えは、一瞬で弾けた。まるで泡のように。


「…別に。捨てとけば」


耳に刺さるような冷たい、声。


弾けた泡さえも、綺麗じゃなかった。


見えなくなった黒い泡は、あっという間にわたしの胸によどんでいくんだ。


「なに…言ってるの?これ…遥斗がくれたのに」


唇が、声が震えそうになる。

時計を持つ指はかすかに……震えてしまっていた。


これの前に使っていた時計が壊れて、新しい時計がほしかったあのとき。


遥斗からこの時計を誕生日にプレゼントされて、すごくすごく嬉しかったのを今でも鮮明に覚えている。

喜ぶわたしを見て、遥斗も嬉しそうにしていたのだって、ちゃんと覚えてる。

わたしの記憶……間違っていないはずだよ。


鎖の輪っかの部分には大きな赤いお花がついていて、時計の背景には真ん中にハートのビーズが埋め込まれていて……わたしにはもったいないくらい可愛くて、あの日からずっとお気に入りなのに。


捨てとけば、なんて…。


どうしてそんな、ひどいこと言うの…?


捨てられるわけ、そもそも捨てるわけ、ないのに──


「うざい」


そんな短い言葉で、遥斗はわたしとの思い出をいとも簡単に拒否した。


わたしはそんな簡単に、遥斗との思い出を捨てることなんてできない。


遥斗は自分の教室へと、静かに去っていった。


………………遠い。


遥斗の背中は、いつのまにこんなにも遠くなってしまったんだろう。