「…ここだわ」

生い茂る蔦の間から『喫茶 さぼてん』と書かれた看板がかろうじて見える。この蔦だらけの怪しい古い建物が、指定された喫茶店だった。
今日はカラリと晴れて、梅雨入り前らしい良い天気だ。
なのになんだかこの店だけ世間から切り取られたみたいに、独特の暗さと静けさを纏っている。

私はおそるおそる店内に入った。
店の中は、重厚感のあるインテリアが明るさ控えめな裸電球にゆったりと照らされ、レトロでおしゃれな雰囲気が漂っている。
そんな中で、奥のソファー席に山神さんが座っているのが見えた。静かにコーヒーを飲んでいる山神さんの姿は、落ち着いたお店の雰囲気に馴染んで、ドラマの中の俳優さんのようだ。
私服姿も、灰色のジャケットと紺のシャツというシンプルなものだけど、長身でスタイルが良いからとても似合っていて格好いい。

「ご、ごめんなさい、早めに出たつもりだったのに先を越されちゃった…」

胸がドキドキするのを抑えつつ、私は慌てて山神さんの元へ駆け寄った。

「どうも」

山神さんがゆっくり顔を上げた。

(う…)

改めて顔をしっかり見てみると、目元が涼しげなイケメン…だけど、やっぱり前髪から覗く目つきは鋭く、表情も乏しいのでちょっと怖い。

(お、怒ってるわよね、やっぱり…)

見ると、左手は包帯がぐるぐるに巻かれていて、力なく垂れさがっている。
何となく怖くて、私は彼の顔色を窺いながらそっと席に着いた。

「………」

「………」

少し気まずい沈黙ののち、
「何飲む」
彼がぶっきらぼうにメニューを差し出した。

「あ、じゃあ…カフェオレにします」

「…ふっ」

「な、何かおかしいですか?」

「子供の飲み物だな」

「なっ…!」

彼は鋭い目を少しだけ細めて、さも小馬鹿にしたように笑っている。

「に、26歳だってカフェオレ飲みます!というか何歳でも、関係ないでしょう!?」

「いや、そうじゃなくて…。ここ、一見入りづらいけど店長のこだわりがあってコーヒーがすごく美味い店なんだ。だからここのコーヒーはブラックで飲んでこそだと思うんだけど…まぁいいや」

彼はコーヒーが好きなようだ。
確かに彼の手元にあるブラックコーヒーからは、今まで嗅いだことのない種類の芳ばしい香りがする。
けれど、残念ながら私はコーヒーには詳しくないので何も言い返すことができなかった。
ブラックは私には、苦すぎる…。

彼は店員を呼んでカフェオレを注文してくれた。カウンターの奥で、口ひげがお洒落な年配の店員がカフェオレの準備を始める。

「このお店って……山神さん、よくいらっしゃるんですか?とっても雰囲気があって落ち着いたお店ですね」

「ああ。家から近いし、そんなに混まないし、コーヒーは美味いし。予定のない週末はここで本でも読んで時間をつぶしてるよ」

「そうなんですね。私も隣駅前の喫茶店でカフェオレや生絞りのジュースを良く飲むんですけど…あそこはいつも人が多いし店内も狭いし。こっちの店のほうがいいなぁ。うちから一駅だし、今度からここに来ようかな」

「……」

山神さんはとくに表情も変えず黙っている。またしても、気まずい沈黙。

(…あ、顔見知りがこの店に来るのは嫌かな…。も、もう余計な話はやめとこう)

いたたまれなくなった私は、「と、ところであの…これ、つまらないものですが」と菓子折りを差し出した。
「ああ」と彼はそっけなく受け取る。