「では、僕たちはこれで。また何かありましたらご連絡ください」

そう言い残し、私たちは会議室を後にした。営業の小高さんは、ワタナベ食品の別部署へもあいさつ回りをしてから帰ると言うので、帰りは島崎くんと二人になる。
受付で入館証を返却し、正面入り口の自動ドアを出る。時刻は18時を少し過ぎたところで、日はやや傾いていた。けれど、外に出るとまだアスファルトに夏の熱気がこもっていて、むっとした不快な暑さが肌にまとわりつく。20分かからない程度の距離でも、この暑さの中を歩いて帰るのはとても億劫だ。

「あー、まだ暑いねぇ。ずっとクーラーの効いた会議室にいたかったなぁ」

「本当に…。いっそタクシー乗らなきゃいけない距離だったらよかったんですけどねぇ、中途半端に歩ける距離ですから…」

…そんなふうにとくに中身のない話をしながら、オフィス街の真ん中の公園まで歩いてきた。山神さんと出会った例の公園だ。

「ちょっとスポーツドリンク買ってもいいですか?」

そう言って、島崎くんが公園の自販機を指さした。私は頷いて、二人して公園に入る。公園は夕日に照らされて、オレンジ色に染まっていた。

「…ところで品田さん、さっき話した打ち上げの件…僕は本気で言ってますよ。二人で飲みに行きましょう。牛肉ではなくてもいいですけど」

自販機のボタンを押して、出て来たペットボトルを取り出しながら、島崎くんがぽつりと言った。“二人で”という言葉にドキッとしてしまう。

「そ、そうね。島崎くんは沢山頑張ってくれたもの。お財布と相談しないといけないけど良い肉を……」

そこまで言いかけたところで、私の言葉は背後からかけられた声に遮られた。

「下心がある男と二人で飲みに行くのは危ないんじゃないか?」

「………え…!?」

どこかで聞いたことのある声。
慌てて振り向くと、そこには夕日を遮るようにして長身の男が……山神さんが立っていた。

「や、山神さん!?」

「山神さん、何でここに」

さっきワタナベ食品で別れたはずの山神さんがなぜこんなところにいるのか──まったくわからなくて私も島崎くんも一瞬言葉を失った。

「…い、一体なんです?僕たち、会議室に何か忘れものでもしましたか」

島崎くんが山神さんを睨みながらそう言った。

「そ。こいつの忘れ物。…小走りで来たからあちぃな…」

山神さんは額の汗をぬぐいながら、資料のつまったクリアファイルを差し出してきた。

「…あっ!私の手元資料の…!すみません…!私、うっかりしてましたね」

「いや、仁科が片付けの時に間違って持って行ってたらしい。あとで『これ品田さんのですよねぇ、どうしよう』って言ってきたもんだから、俺が受け取って届けに来た」

「そんな、わざわざ…!後でメールなり電話をくれれば、私が取りに行ったのに…」

「仁科のミスで取りに来させるのも悪いし、社外秘の資料とかあったらまずいだろうから、すぐ返したほうがいいかと思ったんだよ。この公園前の道通るの知ってたし。…それにしても、夕方なのにこんなに暑いのは想定外だったがな」

山神さんはまだ暑そうにして、手でぱたぱたと顔を扇いでいる。本当に、そこまでして届けてくれなくてもよかったのに…。
すると、島崎くんが私と山神さんの間に割って入って来た。

「…山神さん、ファイルを届けてくれたのはありがたいですけど、品田を『こいつ』呼ばわりするのはどうかと思いますよ?打ち合わせの度に思ってましたけど、話し方が馴れ馴れしいというか。あなたと品田さんの関係って、ただの知り合いってだけですよね?」

島崎くんは若干、ケンカ腰だ。
(な、なんか急に一触即発の雰囲気…!?)
「し、島崎くん、私は気にしてないからいいって」とあわてて間に入るも、島崎くんの表情は険しいままだ。

「それに、僕のことは『下心のある男』呼ばわりですよ。たまったもんじゃない」

「…ほお。じゃあ下心はないのか?」

「…自分に良くしてくれる先輩とお近づきになりたいと言う気持ちを下心というなら、あるかもしれませんね。けど、いずれにしても山神さんには関係ないでしょう」

「そうだな。関係はないけど…」

山神さんは困惑している私をチラッと見て、そして島崎くんに向き直った。

「…だけど俺はこいつが好きなんだ。だから、目の前で狼に誘われているこいつを見て黙っていられるはずないだろう」

そう、淡々と答えた。