「…そろそろいいかな」

山神さんは私の髪を拭き終わって、手で軽く髪を梳いて整えてくれる。彼の長い指が私の頬をかすめて、また少しドキッとした。

(距離が…近すぎる…)

「…あ、ありがとうございました…」

私は赤い顔を見られないように、うつむいてお礼を言った。山神さんに髪を拭いてもらっている間に、雨は少しだけ弱くなっていた。

(合羽があるから、帰ろうと思えば帰れるけど…)

私は山神さんをちらっと見る。本当はもう少しだけ山神さんと話したい。

(けど…仕事を抜けてきてるわけだし…山神さんももう戻りたいかな…)

「…さっきから、何で人の顔じろじろ見てんの」

「!」
ばれてしまっていた。

「な、何でもないです…」

「……」

すると、山神さんが少し考えるような顔をしてから、ぽつりと口を開いた。

「…母さん、あんたのこと相当気に入ったみたいだったよ」

「…!あ、そ、そうなんですか?」

山神さんから話を振ってくれたことが嬉しくて、思わず声が上擦ってしまった。

「次会いに来るのはいつだ、って。今度はあんたの好物をふるまいたいから好きな食べ物教えろってうるさい。…まあ、ゲイだと思われてるよりはマシだけど、これはこれで面倒くさいな」

言葉ではそう言うけれど、山神さんの顔は少し嬉しそうだ。自分の母が楽しそうに盛り上がっている姿に、微笑ましい気持ちになってるんだろう。

「…まだ、私と遠距離になったとか別れたとかは、言ってないんですね」

「まあ、まだあれから一か月ちょっとしか経ってないし…そのうち、な」

『別れた』と伝えたら悲しい顔をするだろうな、と思うとちょっと胸が痛む。山神さんもそう思っているんじゃないだろうか。だけど…だけど、最初からそういう話だったんだから仕方がない…んだよね。

「あの、そういえば…怪我したとこは…もう痛んだりしないですか?完治してますか?」

「ああ。それは心配ない。痛みもないし、見た目にもわからないよ。大した怪我じゃない。そもそも心配しすぎなんだよ、あんたは」

「そりゃ心配しますよ!もっと大きな怪我をさせてたらと思うと、考えただけでもゾっとします。あれから私、自転車に乗るときは超安全運転を心がけてるんですよ。早歩きするのと変わらないんじゃないかってぐらいのノロノロ運転で…」

「ふっ。それじゃ自転車に乗る意味がないだろ」

山神さんが柔らかく笑った。

「両手でしっかりハンドル握って、前を見て、交差点とか歩行者が来そうなところで万全の注意を払えばいいんだよ。ずっと緊張してたら、かえって危ないぞ?ほんとにあんたは…」

「『危なっかしい』、ですか?」

「だな。…なにむくれてんだよ」

「…私、小さいときは妹の面倒見てたから『しっかりしたお姉ちゃんねー』って言われて育ったのに…。こんなに危なっかしい危なっかしい言われるのがいまだに納得できません…」

「自分で自分の危なっかしさに気づいてないところがまた、アレだな」

「うぅっ…!」

山神さんは私をからかって、実に楽しそうだ。
島崎くんと言い、私はそんなにからかいたくなるタイプなのだろうか…。悔しいような恥ずかしいような。私は複雑な気持ちを紛らわそうと、別の話題を探した。