石田先輩にも島崎くんにもこんな弱音を吐いたことはない。ただ、先月のミスの時も実はちらっと思ったのだ。お荷物になるくらいだったら転職したほうがいいのかなって。仕事は好きだけど…やめたくないけど…そんなに向いてないなら、課長やみんなの足を引っ張るぐらいなら…。
「課長ってのは、俺とあんたが自転車でぶつかった時に電話でキレてた人?」
黙って聞いていた山神さんが口を開いた。
「そうです」
「…誰にだって、合わない人間というのはいる。どうしても無理なら、下手に仲良くしようとせずに離れるのが一番だ。そのオッサン、あんたが事故った時、全然あんたのこと心配してなかったろ?まともな上司なら部下が怪我してないかを真っ先に心配するもんだろ。そんな最悪な上司なんかと無理に仲良くする必要ないと思うけど」
「で、でも、離れるっていうのが難しくて…」
「異動が考えられないって言ってたけど、一度異動希望出してみたら。あんたがどんな仕事をしてるかは、レンタル彼女の時にざっと聞いたぐらいしか知らないけど…あんたなら案外、営業もやれると思うよ」
山神さんは淡々と言うけれど、意外な言葉に私は驚いてしまった。
「営業なんて!私はドジだし人見知りだし、セールストークなんかもできないし…!」と言うと、山神さんは少しだけ眉間にしわを寄せた。
「商品を押し売りするだけが営業じゃない。あんたの会社の仕事は、見ず知らずの客に飛び込み営業するタイプの仕事じゃないだろ。信頼関係とか、客から可愛がられるのが大事な営業もある。周囲にお菓子を恵まれるようなあんたなら、客にも好かれると思うけど」
「……」
山神さんが少し饒舌になった。
「営業ってのは一例だけど、いったん他の部署に避難して、その嫌な課長が去ったらまた戻るって手もあるだろう?好きな仕事から一時的に離れるのはつらいかもしれないけど、会社自体を辞めて永遠に戻れないよりはマシだと思う」
「山神さん…」
「というか、あんたが異動しなくても、その課長を異動させるって手もあるだろう。人事に相談してさ。今、けっこうどの会社もパワハラには敏感だろ?」
山神さんは相変わらず不愛想で、そして窓の外の景色ばかり見ていたけれど、『もう会うこともない』と冷たく言い放った時とは全然違う優しい声音だった。
もっと話を聞いてほしい、もっと慰めてほしい。もっと山神さんの話を聞いていたい。…そう思ってしまうぐらいの優しい声…。
「あんまり思い詰めるなよ。俺もまぁ、あんたのことそんなに詳しくないけど…彼氏役を演じた者の感想としては、あんたが仕事辞めなきゃいけないほど仕事ができないとか、部署移ってもやっていけないほどコミュニケーション力とか吸収力に難があるようには感じなかったけどな」
「…あ、ありがとう、ございます…。第三者にそう言ってもらえると、ちょっと救われる気がします…」
そうしていつの間にか私の頭の中は優しい山神さんでいっぱいになっていた。…だけど、タクシーは間もなく山神さんの家の最寄り駅に到着しようとしていた。
