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ところが、気持ちを切り替えたはずの翌日。せっかく『励ます会』を終えたばかりだというのに、私はまた励まされなければならない状況に陥っていた。
「納品済みの報告書にミス?」
さきほどまで上機嫌で会議資料を読んでいた課長の顔が、みるみるうちに鬼の形相になる。
課長は、48歳という年齢のわりには若く見えるほうだ。髪の毛はふさふさだし、白髪も目立たないし、老眼もない。だけど、怒ると眉間に細かいシワがたくさんできて、日頃の疲れやストレスが一気に顔に出てくる感じで、5歳は老ける。
のんびりとした午後のオフィスの空気が、急にピリッと張り詰めた。デスクに座っている人たちはみな息をひそめて私と課長の様子をうかがう。周囲の視線が、痛い。
「す、すみません…!グラフの数値が、前回のまま更新されてなくて…。スタッフさんが作ったものだったのですが、私が見落としてしまってそのまま納品してしまいました。先方から指摘を受けて、今、再納品のためデータ更新中です。ただ、あの…先方が怒っていて、定期レポートの値下げを要求されてしまって…」
「バカヤロウ!」
「!」
課長が手にしていた資料を机に勢いよくたたきつけ、フロア中に響く声で怒鳴った。
「すみません…」
「ただでさえ今期は売り上げが厳しいと言われているのに、値下げだと?…はぁ。お前はつい一か月前もプレゼン資料を間違えていたし、なんなんだ?月に一度、定期的にミスをするようにスケジュールに組み込まれてるのか?」
「すみません…」
私は頭を下げるしかない。
「しかもだいたいケアレスミスじゃないか。品田、お前は細かいデータを扱うこの部署に向いてないんじゃないのか」
課長が、うつむいた私の顔を嫌な顔で覗きこんできて、
「いっそのこと、来期は異動するか?ん?」と、ねっとりした口調で言った。
「…!!」
その後もしばらく、私は課長の隣で立たされたまま嫌みを言われ続けた。
自分が情けなくて、何度も涙があふれそうになった。だけどこんなに周囲に注目されている状況で泣いたら恥ずかしすぎる。私は何度も唾を飲み込んで耐えた。
「…品田さん、お菓子」
ふらふらと席に戻った私に、島崎くんがそっとお菓子を恵んでくれた。
彼は小声で、「課長、品田さんが若くておとなしい女の子だからああやって調子に乗って偉そうにするんですよ。僕も石田先輩も、吉池さんや小野さんもちょくちょくミスの報告してますけど、あんな怒り方しませんもん。あの程度のミスはみんな経験するんですから、品田さんが特別悪いんじゃないですよ。みんなわかってますから」とフォローしてくれた。
けれど、私は「ありがとう」と短く返すのが精いっぱいだった。昨日の深酒で寝不足なのもあいまって、頭がうまく働いていない。今は島崎くんの優しい言葉にもうまく返答することができない。
「このあと…取引先で打ち合わせだから…今日はそのまま直帰するね…」
「そう…ですか。お気をつけて…。無理しないで、早く帰ってくださいね」
島崎くんはまだ何か言いたげだったけれど、私は周囲から向けられる好奇の視線を避けるように、そそくさと社を出た。
数時間後。なんとか取引先での打ち合わせは滞りなく終え、駅へ向かおうとする。けれど…
「ううっ…」
今日はもう帰れると思ったら緊張の糸が切れて、とうとう涙が止まらなくなってしまった。
(やばい…)
慌ててハンカチで顔を覆ったけれど、それでは間に合わない。涙は次から次へとこぼれ出て、頬を伝って落ちていく。
人目を避けて、近くのビルの裏口付近で涙を拭くものの…化粧がグズグズになっているだろうし鼻水も止まらない。さすがにこのままでは電車に乗れない。
近くの喫茶店にでも避難しようか──、でも、静かな喫茶店で泣いていたら他のお客さんに迷惑だろうしそれはそれで恥ずかしい…。
(…そうだ)
ここは、少し歩けば公園がある。山神さんと出会った公園が。
(公園のベンチなら…)
私はハンカチで顔を隠しながら小走りで公園に向かった。
