プイっと背中を向けて歩き出した。
走らなかったのは多分、彼に追いかけて来て欲しい気持ちが、胸の何処かにあったからだ。


「奈央さん!」


大きな声で彼が名前呼ぶものだから足が止まる。
そんなに必死になって呼ばれたら、やっぱり振り向いてやらないといけないような気持ちがして……。



(どれだけ人がいいのよ、私)


呆れながら諦めて振り返ると、ホッとした顔を見せた桜庭さんがこう言った。


「この人は俺の大学時代の同期生で、亡くなった賢也の彼女だった人。そして彼女は今、多分賢也の子供を妊娠してる」


「……ええっ!?」


衝撃的な言葉に目も耳も疑い、立ち竦んだまま相手の女性を見据えた。
女性はバツが悪そうに顔を背け、きゅっと唇を噛んだ。


「そういう訳だから走らせられないんだ。だから悪いけど、奈央さんの方から寄ってきて」


頼むから…と言いたげな表情でいる桜庭さんを見つめ、今の言葉は本当なの?と自分に問いかける。


(兄さんの彼女?そりゃ確かに全く居ないとか、思ったこともなかったけど……)