その日は朝から職場が騒然としていた。
普段であれば、社長であるまきはもう一つの方の彼女が経営している会社の方に足を運んでいるのだが、優香が出勤して十分後には彼女が社長室に入っていく姿が見えたのだ。
理由が分からなかったが、他の社員が出勤した際に真相が明らかになった。
「どうやら今日は、ここら辺一体の地主さんがいらっしゃるらしいよ」
情報を教えてくれたのは、事務スタッフの牧村敦子だった。
今年五十歳になる彼女も、父親が働いていた時からのスタッフで、優香に対して親切にしてくれる社員の一人だった。
「地主さん?」
優香が聞き返すと、敦子は神妙な面持ちで大きく頷いた。
「そうなのよ。どうやら社長タワーマンション計画を大手の建設会社とたてているみたいでね。でも、地主さんが全然首を縦に振らないらしいの。だから、今日は地主さんを呼んで接待するらしいわよ」
最近義母が苛立っていた理由は、これだったのかと優香は納得した。
「でもわざわざ来ていただくくらいだから、見込みはあるんじゃないの?」
優香が敦子に質問を投げかけようとした瞬間、扉が開く音がした。
「いらっしゃいませ」
「種田社長と約束をしているのだが」
客だと思い、席に案内をしようとした優香に、佐々木康と名乗る男はうんざりしたような表情を浮かべて吐き捨てるように言った。
「少々お待ちくださいませ」
優香が社長室に案内しようとした瞬間「まあまあ!佐々木様じゃありませんか」と甲高い声が聞こえた。
まきだった。
どうやら佐々木康というこの若い風貌の男が、例の地主だったようだ。
「種田社長。今日は、お話があって来ました」
「まあまあ。こんなところもあれですので、どうぞこちらへ」
「いや、話はここでいい。何度もお話をしている通り、土地を売ることをご遠慮させていただきたい」
緊迫した雰囲気がその場に流れた。
「な、なにをおっしゃいますやら。今日はその話は抜きにしてお話を進めさせていただく予定ではありませんか?」
まきのこめかみがぴくりと動いているのが分かった。
大事な取引先の相手でなければ、おそらく当たり散らしているだろう。
「ええ、ですがあまり話を長引かせるのは嫌いな性分でしてね。あなたが今後私を接待する費用を考えたところ、早めに状況は限りなく不可能に近いということをお伝えした方がお互いのためかと思いまして」
佐々木の口調は柔らかいものであったが、声色やまとう雰囲気はあまりに冷たいものであった。
さすがのまきも、言い返す言葉はないようだった。
「それでは」
まきが言葉を選んでいる様子を見て、佐々木は素っ気ない言葉を残して店を出て行った。



