次の日に職場に行くと、優香の席はなかった。

 唖然とする優香に課長は「社長が先ほどここにいらしてね。有村さんが佐々木さんとの契約をするまでは……」と苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた。

 いくらなんでもあんまりではないか。

 優香は、職場を飛び出して、まきに電話をかけた。

「おかけになった電話番号は、電波の届かないところにいるか」

 三回ほどかけたが、繋がらない。

 確かに、父が死んで数年間まきに生活を見てもらった。
 
 だが、ここまでする理由は一体何なのだろう。

 このまま、会社に出社しない日が続いてしまったら、無断欠勤扱いになってしまうかもしれない。

 目的は、優香のクビということなのだろうか。

 そうなると、佐々木が対応してくれないのも、まきが裏で糸を引いている可能性もある。

 惨めだな。

 心が崩壊するのは一瞬だった。

 父のために頑張っている自分のことを認めてくれる人はいない。

 大学も行けなかった優香ができることなど、ほぼない。

 このまま奴隷のような扱いを受けながら、嫌がらせを受けて、黙って相手の言うことを聞くだけの人生なんて、意味はあるのだろうか。

 父が大事にした会社のスタッフだって、クビになるのが怖くて助けてなんかくれない。

 惨めだと思いつつも、足は佐々木の家に向かっている。

 こんな時にも、生真面目な自分が優香は嫌いだった。

 佐々木は今日も出てこなかった。

 分かっていたことだったが、優香の心の追い打ちをかけるには十分だった。

「帰ろうかな」

 ぼそりと呟いた時、佐々木の家の門が開いて、小さな女の子が姿を表した。

「すいません」

 可愛らしい声だった。

 最初、優香は自分に声をかけていることに気がつかなかったが、少女が優香の着ているスーツの裾を引っ張ったので、慌てて「はい」と返事をした。

「ずっと、ここにいるでしょう?何かご用なの?」

 十歳くらいだろうか。

 年の割にはしっかりとした口調だった。

「佐々木康さんとお話がしたくて」

「元カノ?」

「え?」

 なんという言葉を知っているんだ。この子供は。

「こうちゃんなら、今家にいるよ」

「そうなんですね……」

「呼んできてあげよっか」

「え、でも」

 散々居留守を使われているのだ。この少女が家に戻ったら「危ないから外に出るんじゃない」とチャンスを失ってしまうかもしれない。

「玄関までだったら、大丈夫」

 少女に手を引かれるまま、優香は佐々木の家の敷地内に入って行くことになった。