バイバイまたね、クドリャフカ

 樫野さんは理恵さんに言い聞かせる。

「あのね、自分が今ここに存在している確率って考えたことがある? 自分の両親が出会って愛し合い、妊娠してからお母さんのお腹で大きくなって、外に出てからはたくさんの人に助けられ守られて、今こうして生きているって確率」

 理恵さんは目を瞬かせながら、樫野さんの話を聞いている。それは他の人もだった。樫野さんの言い分には理屈ではない、なにかを突き動かすような熱いものがみなぎっている。


「すごい可能性じゃない? ましてや、この生物が育っていける地球が存在する確率なんて考えだしたら、きりがないわ」

 穂高と話した内容を思い出す。ほかのどの惑星でも駄目だった。

 そしてこの広い世界で、もしもお父さんとお母さんが出会わなければ、結婚して妊娠しなければ、無事に生まれてこなければ……どれを欠いても私はここに存在しない。

「だから確率だけ考えても意味ないのよ。未来は誰にもわからない。たとえ一パーセントでも起こるときは起こるし、九十九パーセントでもはずれるときははずれるわ。だったら自分の決めた未来を突き進んでいけばいいと思わない?」

 初めて会ったときとは印象が違い、樫野さんは饒舌だった。でも一つひとつの言葉が身に染みて、さっきまで私の心を覆いそうだった黒い靄を消してくれる。

「詭弁だろ」

 そこに水を差したのは宮脇さんだ。小さな椅子に窮屈そうに腰掛けて鼻を鳴らす。

「なにを言っても、月は地球に落ちてきて俺たちはみんな終わりなんだよ」

「お前は終わらない気でいたのか?」

 谷口さんは静かに口を開き尋ねた。宮脇さんの眉がぴくりと動く。谷口さんは弱くなった七輪の火をじっと見つめていた。