私がなにかを教えるほど、彼は現国の成績が悪いわけでも、日本語を理解できずに困っているふうでもなかった。穂高は否定せずに、困惑気味に眉尻を下げている。

「そう、だね。両親が日本人だし、本をたくさん読む人だったから。アメリカでいたときも日本語の補習校にはずっと通っていたんだ」

「だったら、なんでわざわざ私に勉強を教えてほしい、なんて言ってきたの?」

「なんでだと思う?」

 穂高は打って変わって意地悪い笑みを浮かべた。質問に質問で返すのはどうなんだろう。

 だって、あれこれ理由を考えてみるけれど、自分の都合のいい思いつかない。

 自惚れでなければもしかすると穂高は――。

「俺はクドリャフカになりたいんだ」

 いきなり、彼が不意打ちのように言ったので、私の思考は一瞬停止する。聞き慣れない単語なのでうまく拾えなかった。頭を切り替えてあれこれ考える。

「俺さ、クドリャフカになりたかったんだ」

 今度は過去形で念を押される。力強くはっきりと言葉にしてくれたおかげで、ようやく単語として聞き取れた。

 けれど、それがなんなのかはまったく見当がつかない。彼はたしか、宇宙に行きたいと言っていたような気がするけれど関係あるのかな?

 なんだか素直に尋ねるのが癪で私は別の角度から質問を投げかけてみる。

「それって、どれくらいの確率でなれるの?」

 彼は私と目を合わせると、笑顔を作った。外が暗いからという理由だけじゃない。

 悲しいのか、楽しいのか、嬉しいのか、寂しいのか。彼の感情の奥底にある本音を読み解くのはいつも難しい。

 じっと見つめると、穂高の形のいい唇が動く。

「地球が助かる確率と同じくらいだよ」

 大きく目を開いて言葉を失っていると、豪快な音と共に車のヘッドライトが視界に映る。宮脇さんが約束の時間よりやや遅れて私たちを迎えに来た。

 おかげで私は彼になにも返すことなく、話はそこで終わってしまった。