「よっしゃ、決まりだな!」


嬉しそうにそう言って、彼は笑った。
その時の顔を、私は今も忘れていない。
忘れる気は、1mmだってない。


「俺はシノガミユウ。なんていうの、名前。」


シノガミユウと名乗った彼は、さっきまで歌詞を書いていたノートの端に『篠神悠』と書いて見せた。
字は、男の子らしく少し崩れている。

そして、私にも名乗るように促した彼は、ペンとノートを手渡してくる。

私は、自分の名前が好きではなかった。
小さな頃から、男の子みたいだとからかわれてきたから。
だから、今目の前の彼に名前を教えることを、少し躊躇った。


「…リョウ。」

「りょう?」

「うん。カザマリョウ。」


私は彼のノートに、『風間綾』と書いて見せる。


「じゃあ、綾な。」

「えっ。」

「ん?他の呼び方がよかった?」

「あ、いや…。変だと思わないの?」

「え?何を?」


ついさっきも見た、不思議そうな顔。


「名前。」

「名前?なんで?」

「いや…。男みたいって、思わない?」


私の問いに、彼はふっと微笑んで見せる。
やんちゃそうな笑顔というよりは、どこか大人のような、そんな笑顔で。


「自分の名前好きじゃないのか、綾は。」

「…好きじゃないよ。今までずっとからかわれてきたし。」

「俺は好きだよ、綾って名前。…俺の兄ちゃんもさ、自分の名前、最初は嫌いだって言ってた。でも、俺は好きだったんだ。兄ちゃんの名前の響きも、込められた意味も。綾も、きっと好きになるよ。自分の名前に込められた意味を知れば。」


そう言ったあと、彼は何度も何度も、私の名前を口にした。


「綾、綾、綾…。」

「え、何…。何度も何度も…。」

「…うん。響きもいい。透明感があって、綺麗だ。」


彼の言葉は、なぜか人を納得させる力があった。


「これから、俺は何度も綾って呼ぶ。綾が、自分の名前を好きになるように。」


確かその日の夜、私は母に自分の名前の由来を聞いた。
綾という漢字が使われる四字熟語には、どれも美しいと言う意味を含むらしい。
奥ゆかしく美しい女性になるようにと、名付けに悩んでいた祖母が提案してくれたのだという。
両親は、様々な意味を私の名前に込めようとしてくれていた。
良い人生が歩めるように、明るく元気な子でありますように、思いやりをもった人になりますように。
良、亮、諒。
考えに考えた両親は、漢字を綾に、読み方をリョウに決めたのだと教えてくれた。


「たくさん込めたい意味があってね。」


そう言いながら母は笑って、それを側で聞いていた父も優しく笑った。

…知らなかった。
こんなにも、たくさんの意味が込められていたこと。
何も知らないまま自分の名前を嫌いになったことを悔やんだ。


「これから好きになればいい。」


私の話を聞いた悠は、そう言ってまた笑った。

その日から、私は自分の名前を好きになった。