「そこ、滑りやすいから気を付けて」
「うん」
検査の結果、やはり入院することを勧められた恭哉くんは、かかりつけの病院よりも設備の良い先程の病院でお世話になることになった。
そのため、壱哉は荷物を取りに一旦家へ帰ることとなり、私も一緒について行くことにした。古い木造アパートの2階にある角部屋が彼らの家だという。
カンカンカンと足音が響く外階段を上り、奥を目指して廊下を進むと、植木鉢のところで寝ていた黒猫がにゃぁと鳴いた。
「そいつ、恭哉と仲良しなんだ」
「可愛いー! 名前は?」
「さぁ? クロじゃね?」
疑問形なんだ。
聞けば、クロはこのアパートの住民全体で可愛がっている猫で、特定の飼い主がいるわけではないらしい。
それでも弟が仲良くしている猫の名前が分からないくらい、家に帰る暇がないのかと思うと胸が切なくなった。
「恭哉くん、普段は、いつも1人なの?」
「いや、この下に住んでる老夫婦が良い人でさ、よく預かってもらってる」
「そうなんだ」
「あいつは俺と違ってコミュニケーション能力が高いから、色んな人に可愛がって貰えるんだ。老夫婦の他にも、隣の部屋のキャバ嬢とか、その隣の土建屋のおっさんとか。この前は、司法浪人の兄ちゃんに勉強教えてもらってたな」