「それはまぐれもなく恋ね、良い兆しだわ」

「良い兆し?」

「ええ、美波ちゃんは今まで”変わらない”生活をしてきたでしょう? 必要最低限の人に囲まれて、言わば安全に暮らしてきた」

「そうですね」

「もちろん、心を穏やかに過ごすことは大切だけど、あれからもう10年経つでしょう? そろそろ次の段階に入って良い頃よ」


あれから、というのは、私が相貌失認症になってしまったきっかけともいえる事件が起こった日のことだ。

といっても、その時の記憶はあまりなくて。

10年経ったと言われても、ピンとこない。


「次の段階っていうのは……?」

「今、話してくれた恋よ。おそらく美波ちゃんはこれから、彼に対して色んな感情を抱き心を揺さぶれるはず。でも、そうして揺さぶられることで、新しい変化を生むの」

「何か、怖い気がする」

「大丈夫、恐れる必要はないわ。自分の気持ちに正直になればいいだけ」

「正直に……」

「そうよ、心の向くままにね」



今日の診察はそこまでとなり、亜希子先生は「いつでも相談に乗るから」と言って送り出してくれた。

待合室に戻ると、椅子に座って本を読んでいた大貴くんが手をあげる。


「終わったか? 今日は長いこと話していたな」

「うん」