重い気持ちを反映するように、足取りも重く帰宅した。
遅い時刻にもかかわらず、家政婦の弘乃が籐矢を迎えてくれた。
「水穂さんの怪我はいかがですか。弾が当たるなんて、聞いたときは心臓が止まりそうでした」
「たいした傷じゃなくて良かったよ。右の脇腹を弾が掠っていった」
「まぁ……女の子の体に傷なんて、お可哀想に」
弘乃は眉をひそめた。
「ひろさん、娘に弾傷が残ったら、親としては複雑だろうね」
「それはそうでしょうが、仕事で受けた傷ですから籐矢さんが気になさることはありません。
ご自分を責めてはいけませんよ」
誰もかれもが籐矢へ自分を責めるなという。
悲壮感をまとっているつもりはなかったが、周囲には籐矢の姿は痛々しく見えるのだろう。
みなに必要以上に気を遣わせていたことに、籐矢は今になった気がついた。
「いや、そんなんじゃないんだ。水穂のお袋さんに、
『傷が残って、そのせいで嫁の貰い手がなかったら、神崎さんもらってください』
なんて言われてね、困ったよ」
籐矢は水穂の母曜子とのやり取りを思い出して、口元を手で押さえながら可笑しそうに笑った。
「まぁ、水穂さんのお母さまがそのようなことを?
そうですよ、このまま水穂さんとご一緒になられたらよろしいではありませんか。
私は大賛成です。あのお嬢さんなら、籐矢さんに申し分ございません」
「ひろさんまでそんな事を言うのかい? 参ったな……」
タバコを一本取り出して火をつける。
深く煙を吸い込んで、ゆったりと吐き出しながら独り言のように呟いた。
「アイツには他に好きなヤツがいるよ」
「でも……籐矢さんは、水穂さんのことをお嫌いじゃありませんね。
むしろ好意をもっていらっしゃる……そうではありませんか」
それには答えず、籐矢は自分の吐き出した煙の行方を眺めた。
弘乃の言いたいことはわかっていた。
自分でも水穂への気持ちが変わりつつあることに気がついていたが、それはまだ心の奥に沈めておこうと決めていた。
弘乃に心のうちを覗かれたくなくて、無造作にタバコの火を消した。
小さい頃から母親以上に慕ってきた弘乃の言葉は、ありがたくもあり、時にはうっとうしいとも思う。
「いつまでもお独りではいけませんよ」
「そのうちな」
息子が母親に言うようにぶっきらぼうに答えると、籐矢は弘乃に背を向けて部屋をあとにした。
「彼女を大事にしろよ」
「アナタに言われなくてもわかってます」
栗山との会話が蘇る。
ビルの一室で水穂を抱きしめた感触を忘れたわけではない、忘れようとしても忘れられない出来事だった。
これまでも、幾度となく水穂を抱きかかえたが、あの時ほど水穂を近くに感じたことはなかった。
水穂とどうしたいのか、どうなりたいのか、いまだ自分の気持ちを掴めずにいる。
水穂が栗山を慕っているのは明らかだ、栗山なら水穂を大事にするだろう。
自分に言い聞かせるように、二人の関係を整理して頭に叩き込む。
籐矢は水穂への気持ちを無理に打ち消して、ベッドへ乱暴に身を投げた。