「っ、」


覗き込むように眼下の景色を見つめていたおじさんは、体勢をもう一度戻し、ふいに後ろからかけられた声に反射的に振り返る。



…いつの間に。いつから。

横顔から、そんな感情が読み取れた。



「ね、飛び降りないの?」

おじさんは険しい顔をしながら、黙って女を見つめた。



もう一度。女は尋ねる。早く飛び降りないのか。本当に死ぬ覚悟は、あるのかと。




手すりに両腕を乗せて、おじさんを見上げている。

きっと、その目は笑ってねーはず。女に動く気配は見られない。





おじさんは悟ったのだろう。女がこれから自分が起こす行いの全てを見るつもりだということを。ぐっと、拳に力が入る。




「……帰りなさい。いい気分はしない」


視線を逸らし、もう1度前を向きながら女にそう告げた。

無反応の少女の代わりに、自分が心の中で返答する。




……いい気分なんて、ずっと前からしてねーよ。



「ねぇ、ーー辛い? 苦しい?今どんな気分?」



女が質問する声は、好奇心旺盛な小さい子供のようだ。

いつも思うけど、いい性格をしていると思う。よくそんなこと聞くよな。ただ単純に知りたいだけなんだろうけど。


黙ったまま、遠くのビルを見つめ続けるおじさん。



ーーそろそろか。





「…勿体無い。あと24年も生きれるのに」

ふ、と。女の声色が変わった。




低い、軽蔑を孕んだその声に。おじさんが女の方を向けば、女はすでにひらり、と柵を越えていた。




「…っ、」




一瞬。すぐに女はおじさんを柵へ押さえつける。




おじさんよりも頭一個分くらいだろうか。


小さく細いその体全体を使いおじさんが抵抗できないよう持っていく。


ぐっと押さえつけられてる体と、握るように胸元に当てた手。

ダンッ、と柵が響くほど胸を強く押さえつけられて、おじさんは苦しく息を漏らした。



距離が縮まり、ぐっと近くなった顔を、さらに近づけ、女はおじさんを見つめる。


「苦しい?」






「はっ、何を……」






おじさんは、女の手を外そうと動く。

……早くしろ。普段はあまり喋ろうとしないくせに、”死にゆく者”との会話は楽しむ。

いい性格をしているものだ。




「…ここから飛び降りたって何も変わらない」


真っ直ぐ。突きつけた言葉におじさんは息を飲んだ。





女は真っ直ぐ見上げて続ける。



「何も変わらない。処理されて、終わり。死で訴えようなんて無意味」




途端、おじさんの目は大きく見開かれる。